8/9☆こえのば通信 〜一年後の自分に手紙を書こう

対面座談会イベント《こえのば》内で、「一年後の自分に手紙を書く」という企画を行います!

今悩んでいることや、今の子どもの様子、近い将来やりたいこと、などなど、徒然なるままに手紙に書いて、一年後の自分宛に出してみませんか?
その手紙は1年間団体で大切に保管し、2027年8月にいただいたご住所に発送いたします。
今この時の想いを、一年後の自分に届けるタイムカプセルのような手紙です。

今の自分に向き合って、文字にして、形にしてみてください。書く相手は自分なので、どんな内容でも受け入れてくれます。

それを1年後の自分が受け取って読む。

1年後の自分はどんな心境でその手紙を読むのでしょうか。
ちょっと面白そうじゃありませんか?

手紙と封筒は現地にあります。参加はご自由で、予約も必要ないので、気が向いたら座談会の合間を縫って書いてみてください。(無料です!)

手紙はその場で封筒に入れて封をするので、中身を誰かに見られる心配はありません。

ゆっくり集中して書きたい、という方はご自宅で手紙を書いて当日持ち込んでいただいても大丈夫です。

こんなお楽しみ企画もご用意しております。是非《こえのば》にご参加ください!

【「こえのば」申し込みはこちらから】https://forms.gle/f4yLA5fYCjkgGAHg9

・イベントについてのお問い合わせはこちら
(イベント、託児のキャンセルは問い合わせフォームよりご連絡ください。)

往復書簡③ 小1生活 親の負担は実際どんなもの?

愛さんへ

こんにちは。8月イベント「こえのば」の企画がどんどん進んでいきますね。初めての対面イベント、本当に楽しみです。私たちらしいイベントにしたいな、と気合いもひとしおです。頑張りましょうー!

さて、この往復書簡、私の中で楽しみのひとつになりつつあります。日々の生活の中で「これは!」と思うとすぐに「次の往復書簡のネタにしよう」という思考に繋がるようになりました。

で、今回は小学校生活における親の負担についてお話しできたらと思います。

具体的に上げると…

永遠に増える小学校教材の名前つけ

宿題の丸つけ・間違った問題の解説(毎日)

絵の具のパレットは自宅で洗う

体力テストの結果は親が入力

iPadの自宅管理と充電

工作グッズの用意 

などなど。あ、あと夏休みに向けて学校に朝顔の鉢植えを取りに行くのも親ですね…。

ひとつひとつの作業量は大したことじゃないかもしれないけど、「気にしなきゃいけないこと」の量が保育園よりも格段に多いと感じます。

例えばiPadの充電なんてコードをさせばいいだけの事だけど、もしこれを忘れてしまったら、授業で使えず完全にアウトだから絶対に気をつけなきゃいけない。

絵の具のパレットも放置したらガビガビに固まって大変なことになるし。

そういったことはさすがに1年生はまだ気付けないことが多く、どうしても親が気にする必要があります。

教材が多い分、管理作業が多い、というところが地味にストレスに感じます。

因みに工作グッズの用意ですが、ケチャップの空き容器とか、プリンカップとか、蓋が別れている空き箱とか、持ち込み日よりも前から準備しないといけないものが多いですし、秋にはどんぐりと松ぼっくりも持っていかないといけないらしく(しかもどんぐりは家で煮沸消毒してくる)、なんか…、やること多いな…とぐったりします。

公立と私立で親の負担度合いは変わるのかな、と思ったのですが、先日他の公立小学校のママと話した際「え!うちはそんなに色々やらないよ!」と言われたので、公立私立ではなく、学校によって全然違うんだと気づきました。

愛さんはいかがでしょうか?親の負担について、感じることはありますか?

−−−−−−

ゆいさんへ

こんにちは!

8月のイベント「こえのば」、少しずつ形になってきましたね。ようやくチラシも完成して、ほっとしています。今回はチラシを担当していたので、「どんな方が来てくださるかな」「親子でどんなふうに過ごしてもらえたら楽しいかな」と、参加する方の姿を想像しながら作っていました。

初めての対面イベントなので少し緊張もしていますが、それ以上に楽しみです。

さて、お手紙を読んでいて、「学校によってこんなに違うんだ!」と驚きました。

我が家は、ゆいさんが挙げていたような負担は、今のところ比較的少ない学校なのかもしれません。工作の材料も学校で用意してくださることが多いですし、ピアニカもまだ始まっていません。絵の具のパレットも学校で洗っているようなのですが、「本当にちゃんと洗えているのかな……?」と、別の意味で少し気になっています(笑)。

学校側がいろいろ工夫してくださっているんだな、と感じることが多いです。

名前付けは、入学準備の頃ほど気にならなくなりました。

それでも、「これは大変だったね」と今でも話題になるのが計算カードです。3月の準備期間に夫が担当してくれたのですが、30〜40枚のカードを一枚ずつ切り離して、さらに全部に名前のシールを貼る作業を、足し算・引き算・掛け算・割り算と何セットも。どちらかというと細かい作業が得意な夫も、「これは大仕事だ……」と言いながら黙々と作業していたのを思い出します。

それ以外は、布用(タグ用)シールとプラスチック用の名前シールをあらかじめ作っておいたので、だいぶ助けられています。靴下やゴムには伸びるシールを貼る作戦です。もしまだ使っていなかったら、おすすめです!(もう活用されていたらごめんなさい。)

とはいえ、小学校に入ってから親として気を配ることは、むしろ増えたように感じています。朝早い登校時間に合わせた生活リズムや、仕事との両立、学校での様子が見えにくいことなど、「物を用意すること」とは別に、保育園の頃より気にかける場面がずいぶん増えました。

小学校に入ってから私が一番大きく感じているのは、「学校で何が起きているのかが、意外と見えないこと」かもしれません。娘に聞いても、「わかんない」「忘れちゃった」が多くて……。連絡帳は、自分で宿題などを書いて先生に確認印をもらうルールなのですが、確認印がないまま持ち帰ってきたり、連絡帳そのものを学校に忘れてきたり(笑)。

音読カードも、本来は1枚終わってから次へ進むはずなのに、気づけば2枚目、3枚目、4枚目がランドセルから次々と出てきて、「これは先生の指示なのかな?」「それとも本人が忘れちゃったのかな?」と判断に迷うことがよくあります。

保育園の頃は先生が細かく共有してくださっていたので、その違いに最初は戸惑いました。でも最近は、小学校は「自分で管理してみる」「困ったらそこから学ぶ」という経験も含めて教育なんだろうな、と少し思うようになりました。

保育園は、働く保護者が安心して預けられるようにという仕組みで動いている部分が大きい。一方で小学校は、学校と家庭が両輪になって子どもを育てていく、という考え方なのかもしれません。親の負担が増えたというより、「親も一緒に伴走する時間」が増えた、と考えると少し見え方が変わる気もしています。

そして、今は夏休みを前に少し戦々恐々としています。

基本は近所の学童に通う予定ですが、毎日それだけでは飽きてしまいそうなので、保育園や学校のお友達と約束して、児童センターやじゃぶじゃぶ池へ遊びに行く日も作れたらいいなと画策中です。「こえのば」にも娘を連れて行く予定です。

長いようで、きっとあっという間の初めての夏休み。親子ともども、無事に乗り切れるといいですね。

ゆいさんのおうちでは、夏休みはどんな過ごし方を考えていらっしゃいますか?

『さかさまの世界』感想座談会            −「わからない」「わかりたい」の先にある発見

予想外な導入について考えたい

原田 私は開演15分前の紙芝居から見たんですけど、紙芝居を見ると、この作品には何か物語があるのかなって感じるじゃないですか。でも実際は、どちらかというとストーリーを追うというより、「こう感じる」とか、「心を引き出す」とか、観客に働きかけるような作品だったので、そのギャップが最初は結構あって。だから不思議な観劇体験だったんです。あの作品世界の中で、紙芝居はどういう立ち位置なんだろうって思って。

中村 私は導入の「ひみつ小屋」(紙芝居のタイトル)が、劇場に入るっていう最大の難関を突破させるための工夫なんじゃないかなと思ったんです。劇場というものに子どもたちがすっと入るにはどうしたらいいか、すごく考えているのかなって。「ひみつ小屋」を観たもの同士で劇場に入っていく。ただ、私の娘は小学4年生ですが「ひみつ小屋」を観て、本編とのつながりについて色々と考えていたようです。

原田 うちの娘も、どう受け止めたらいいんだろうと考えながら見ていた気がします。私が見た回はKAATの子ども向けプログラムに慣れている子どもたちも多かったと思うのですが、それでもいつもとは少し違う作品体験になっていたように感じました。

私はその一因は紙芝居にあるのかなと思っていて。紙芝居があることで、大きい子たちは「これから物語が始まるのかな」と想像するし、小さい子たちも普段とは少し違う空気を感じていた。そのことが、作品との向き合い方に影響していたのかもしれないなと思いました。

松本 私が劇場に入って意外だったのが、ブラックボックスだったことですね。対象年齢が4歳から150歳って書いてあったから、そもそも子どもだけに向けた作品じゃないのかもしれないけれど、一般的な子ども向け作品って、美術から目に入って「楽しそう」って思えることが多いじゃないですか。でも今回はそれがなかった。

だから、静かに見る紙芝居から始まって、劇場に入ったら真っ黒な空間。あえて子ども向けにしない狙いがあったのかなと思いました。でも見ているうちに、「劇場で遊ぶ」ことを見せたかったんだなって気づいたんです。美術で見せるんじゃなくて、大人が舞台の上で音や光、あとはいろんな小道具とかとめちゃくちゃに遊んでいる姿を見せるために削ぎ落としたのかなって。

大人と子どもがさかさま?親子それぞれの反応について

中村 松本さんの「劇場で遊ぶ」っていうの、すごくわかります。上演自体もいろんな意味で「さかさま」を感じられて、何もないことも劇場なんだと気付かされました。

個人的に私はダンサーがかっこ良い振り付けで踊るわけではなく、動きも仕草も歌もどこか子どもっぽくて思わず大人の方がクスッと笑ってしまう。いい意味でカッコ悪さのようなものに胸を打たれてジーンとしてしまいました。

松本 面白いですね。私はこの作品を、7歳の長男と行ったんです。それで見終わったあとに「どうだった?」って聞いたら、「面白くなかった」って言われたんです。

「どうして?」って聞いたら、「僕はいつもふざけると怒られるのに、なんでふざけてる大人を見なきゃいけないの?見せびらかしてきた。」って言うんです。

中村 なるほど。でもその感想、最高ですね。

松本 本当に?私はそれを聞いた時、ちょっと泣きそうになっちゃった。私今までどんだけ息子を叱ってきたんだろうって思って。うちの子、本当にやんちゃで、急いでる時でも飲食店でも病院でも、どこでもふざけちゃうんです。だから私はすぐ「やめて!」「だめ!」って叱る。だから息子の感想は本当にもっともなことで、これまでの親子の関係とか、自分の接し方とかを思ってすごく反省しちゃいました。

中村 もしかしたら作り手の方が聞いたら、喜ぶ感想かも…。と思いました。

原田 私は二人の話を聞いて、子どもたちは大人みたいな気持ちで見ていたのかもと思いました。うちの娘も「何やってるんだろう」っていう感じで、楽しんでいる大人たちをちょっと大人の視線で見ていた気がします。

逆に大人は子どもの気持ちになっていて。最後に体を動かした時なんか、私はいつもより自然に参加できたんです。ここではふざけてもいいし、参加しないほうがもったいない気がして。子どもと大人の境目をなくして近づけている作品だったのかもしれないなって。

松本 そうか。じゃあ私たちはまんまと「さかさまの世界」に入ってたんですね(笑)。

中村 そう、まんまと乗せられてましたね(笑)。

往復書簡② 小1生活 習い事について考える

−愛さんへ

こんにちは。暑い日が続きますね。。

5月からこんなに夏日が続いて、ついに日本は一年の半分は夏になってしまったかと恐ろしく感じます。

うちの小学校は6月2日からプール開きで(早い!)、またも水泳道具一式の名前付けに追われていました。

更にはピアニカ、絵の具セット、計算カードなど、名前付けが続く続く。1年生って永遠に名前付けが終わらないですね。

母さんは本当に夜なべしています、名前付けの為に。

あと、本格的に暑くなってきて、うちの子は毎日水筒を持参するようになったのですが、小学生の荷物量が半端ないなと、週明けはいつも感じます。

ランドセル(教科書含めてすでに重い)、体操服、上履き、学校図書館で借りた本など。これに水筒が加わり、更に給食当番のあった週は割烹着、夏は水泳セット、そしてゆくゆくはタブレットが加わるかと思うと、え、多過ぎだし重過ぎじゃない?と、まだまだ小さな背中の一年生を送り出すたびに、心配になってしまいます。

先日は荷物が多過ぎて、玄関で靴を履く際にバランスを崩して転んでいました。頑張れ…!1年生!

さて、5月が終わりましたが、いかがでしょうか?

以前幼児教室のお話しが出ましたが、その後習い事などはどんな感じですか?

愛さんのお子さんは色々と習い事をしているイメージなので、お話しお聞きしたいです。

−−−−

−ゆいさんへ

終わらぬ名前つけ、金曜日や月曜日の荷物の多さ。今回も「そうそう!」とうなずきながら読ませていただきました。

そして、本当に毎日暑いですね。娘の通っている学校は夏服がワンピースになるのですが、年々衣替えが早まっているようです。

持たせた水筒の中身も空っぽで、喉乾いた〜と帰宅する日もあり…

最近はランドセルの背中側につける保冷剤なんていうものもあるそうで。学校が許可してくださるのか、また実際どれくらい効果があるのかはわからないのですが、用意した方がいいのかな……なんて考えています。

さて、習い事のお話ですね。

我が家は年中からスイミング、ピアノ、体操を続けています。娘は比較的なんでも前向きに取り組める性格のようで、どれも楽しみながら通っています。

将来ピアニストや選手を目指して本格的に、というよりは、何かに挑戦して少しずつできるようになる経験をいろいろな形でしてほしい、というのが親の気持ちです。

歌やダンスも好きなのでバレエとか、勉強も心配なのでくもんやZ会とか……。親としてはつい「あれもこれも経験させてあげたい」と思ってしまうのですが、時間もお金も無限ではないので、どこで線を引くかは悩ましいですね。

今通っている3つはどれも参観できる教室なので、親子で過ごしている時には見られない娘の姿を垣間見られるのも楽しみのひとつです。親の仕事の都合で振替できずに休んでしまうこともありますが、細く長く続けていけたらいいなと思っています。

習い事を考えていると、親はどこまで子どもの経験を用意できるのだろう、あるいは用意した方がよいのだろう、と考えることがあります。きっかけを作ることはできても、時間もお金も限られていますし、子ども自身が見つけてくるものもありますよね。習い事のない日にお友達と遊んだり、本を読んだりしている時間も、娘にとっては大事な経験になっているように見えるので、何を優先するかはいつも悩ましいです。

ゆいさんのところは兄妹お二人いらっしゃるので、習い事を決めたりスケジュールを組んだりするのもまた違った大変さがありそうですね。

習い事を決めるときの決め手は何ですか?

それから、学校やお仕事とのバランスだけでなく、遊びや家族で過ごす時間とのバランスはどんなふうに取っていますか?

2026夏「こえのわ」イベント決定!

プロジェクト始動!!

プラットフォームデザインlabがずっと続けてきた活動、舞台と子育てにまつわるオンライン座談会。

座談会で参加者の皆さんとお話しする度に、同じ境遇の人同士でつながること、自分の気持ちを言葉にして外に出すことが、生活していく上でとても大切なことだと実感します。

そして同時に、「子育て」は子どもを持つ人だけの話ではなく、舞台芸術の現場での創作や働き方、また他者や互いを知りあう関わり方を考えることにもつながるテーマだと感じています。

よりたくさんの方とその思いを共有したいという気持ちから、今年の夏は対面で!対面で座談会イベントを開催します!

しんどいこと、大変なこと、笑っちゃうこと、聞いてみたいことなど、とにかくみんなでおしゃべりしましょう!会って、話して、笑って、「そっか」と気づいて、そして少しでも明るい気持ちになれるような、そんなイベントを目指して鋭意企画中です。

もちろん!お子さんとご一緒にご参加ください。親達が座談会をしている間、子どもものびのび楽しく過ごせるよう、あらゆる過ごし方をご用意します。この夏、大人も子ども一緒に、どうぞ遊びにきてください!

開催日:2026年8月9日(日)

会場:森下スタジオ(都営新宿線、都営大江戸線 「森下駅」)

助成:公益財団法人セゾン文化財団

イベント情報は随時更新していきます。SNSもチェックをお願いします!

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親子観劇 うまくいかなかったレポ

お世話になっております。

突然ですが、親子観劇がうまくいかなかった話しを聞いていただけますか。

先日、うちから車で1時間ほどの場所にある国営の公園内で、子ども向け演劇フェスティバルをやるという情報をキャッチしました。チラシのラインナップを見ながら、「これを観たい」「これも観せたい」「ということはつまり○時に家を出て…」とわくわくしながら色々計画を考え、当日を迎えました。

家族4人で行きましたが、予想外にフェスティバル会場の駐車場が閉鎖されており、駐車場迷子に。当日たまたま市のマラソン大会が行われており、フェスティバル会場がぐるりと交通規制されており、近づけない状態でした。近隣パーキングもいっぱい。

土地勘の無い場所だったので駐車場を探しているうちに、目当ての公演時間が過ぎてしまいました。焦る大人。ぐずり出す子ども達。もう1時間以上車に乗っているので無理もありません。

やむを得ず車を夫に任せて、子どもと私だけ降りてダッシュで会場に向かいました。走る親子。迷う道。規制のせいで近づけない少し遠くにいる誘導のおじさんに大声で会場入り口を聞きました。

やっと着いたと思ったら、会場の入り口には常設の工作ワークショップエリアがあり、子どもの目がそこに釘付けになってしまいました。

その工作エリアはフェスティバルの一環ではなく、もともといつも子ども向けに工作ワークショップができるエリアとして設けられており、子ども二人はまず目に入ったそこに入りたがってしまいました。

「え!演劇を観に来たんだよ!演劇観ようよ!」と言っても、もう目に入ってしまった工作に釘付けで、目に見えない「えんげき」にはまったく興味を示さず、「いやだ。みたく無い。作りたい。」と言われてしまいました。

今ここで機嫌を損ねると後が大変かも、と思い、取り敢えず工作エリアに入りました。

そしてその後も何度か「お願いだから演劇を観よう」と誘いましたが、子どもはどんどん工作に夢中に(とても充実した工作エリアでした笑)。

「ここまで来て嘘でしょ」と思いましたが、でもしかし、そもそも今日は子どもの為に来たのだから、子どもが演劇より工作が良いと言うならもう工作でいいか…、と思い直し、私も一緒に工作に。

車を停めてあとから来た夫も、何も言わずに一緒に工作をしてくれました。

工作がひと段落して、やっと長男の気持ちが他に向いてきたので、二人で観劇エリアへ。その時間にやっていた演劇を後ろからそっと二人で観ましたが、結局途中退室しました。

後から入ったので観づらい場所だったことと、途中からだったのでストーリーに今ひとつ入っていけないことから、長男に「もう(観なくて)大丈夫。」と言われてしまったからです。

私も、「確かに来たし、観た。うん。」と自分に言い聞かせ、静かに会場を後にし、あとは建物のまわりの広い広場を子ども達と走り回って帰りました。

結局子どもは楽しんでくれたし、いつもと違う体験ができたんだから、良かったじゃん!と無理矢理自分に言い聞かせましたが、やっぱり演劇って、その時その場所でしか観られないから、それを子どもと一緒に「わあー」って観たかったんだよ、私は…!という残念な気持ちでいっぱいになってしまいました。

子どもとの観劇、みなさんはどんな経験がお有りでしょうか。

「ようわからんけど、よかったねえ」が起きる街

東京から、兵庫県北部に移住して丸6年が経ちます。

2020年。5月末に引っ越し予定だったのが、「可能な範囲での登園自粛の検討へご協力ください」という保育園の張り紙を見て、驚愕。緊急事態宣言で首都圏が半ばパニックになる中、夜逃げするように移動しました。

コウノトリがいる近所

思い返してみても変化が多すぎて、枚挙にいとまがありません。

6年経てば、保育園児だった子は小学六年生。子供の状況も環境も変わったし、自分の仕事も生活も変わったので、この変化を振り返るのはなかなか骨が折れました。

今回は、私がこの6年間少なからず時間を費やしている演劇祭と地域の話をさせてください。

出産前は舞台監督として幾つかの公演やツアーで活動してましたが、第一子出産後は当たり前のように現場から離れてしまいました。第二子が2歳になる直前に移住し、スタートしたばかりの演劇祭で主にフリンジ部門の立ち上げに参画。コーディネーターとして毎年アーティストと地域との調整を行っています。

期間中は、とにかくたくさんの団体が来て、次々調整して立ち会って送ってという日々。正直「仕事と生活が両立できてる!」とは言い難いですが、よかったなと思う瞬間ややっと乗り越えたかなと感じることも増えてきました。

特に昨年見た景色は、ちょっと心に残ってます。

担当したアーティストを自宅近くの公園で迎えることとなりました。徒歩3分で会場です。

公園ではキャンプ椅子に座ったり、立ったままのお客様に囲まれて、ダンサーが踊ります。

雨が降ったり止んだりする中、ご近所のおばちゃんと一緒にパフォーマンスを鑑賞。「ようわからんけどねえ、よかったねえ」といいながら、おばちゃんは自転車のカゴからさつまいもを取り出して、「畑で取れたから」と私に手渡しました。

近くの雑貨屋を営む夫婦も、ちょっとしたスキマで見にきましたとお店に戻る。

翌日には、”平日は誰もいない、天気のいい休日に子供たちがやってくる”いつもの公園に戻りましたが、こんなことが家の近所で起きたことは私にとってはちょっとした奇跡のように思えました。

演劇祭を終えると、「かあちゃん、えんげき祭のしごとおつかれ様でした」と子供が手紙をくれました。街のあちこちで行われる小さなイベントのいくつかに、どうやら親が関わってるらしいことにも気づいてくれています。それをどう感じているかはわかりませんが、少なくとも「なんか知らんところでわけわからん仕事をしてるわけではない」と理解してくれてるのかもと思っています。

こう考えられるようになったのは、移住したからなのか、子供が大きくなったからか、仕事が変化したからか、それとも私の受け取り方が変わったからなのかは、ちょっとわかりません。6年間全てがこんな穏やかでは決してなかったですし、特に前半の3年間は地獄すぎて思い出せません。

きっとこの先も全てが穏やかではないでしょうけど、「ようわからんけどねえ、よかったねえ」な出来事が少しでも増やせればいいなと思ってます。

おばあちゃんがくれた花

近所のおばちゃんは今日も、ピンポンは押すけど気づいたら玄関のドアを開けて入ってきます。「菖蒲かなんかわからんけど」といいながら、蕾のついた花を持ってきてくれます。いまだに「マジか!」と衝撃を受けますが、向こうからしたら謎のパフォーマンスを公園でやるのだって「マジか!」くらいの衝撃でしょう。お互い様っぽいです。

ありがたいことに今年も演劇祭を開催できるようです。国内外に限らず本当にたくさんの応募をいただき、すでに選考だけでも大忙しです。

今年も、公園だけでなく、そんなとこでやれるんかいなという会場でできるように準備を進めています。

もしも、「え、どんなことになってんの」と気になる方がいらしたら、兵庫県の日本海側までお越しください。ええそうですよ、兵庫県には日本海側があるんです。ご案内します。

往復書簡① 小1生活、最初の1ヶ月どうでした?

ゆいさんへ

小学校生活が始まりましたね。

入学前から「やることが多そうだな」とは思っていましたが、実際に始まってみると、想像以上に親が学校に行く機会が多い1ヶ月でした。

娘の通っている学校の場合は、

・事前保護者会が2回
・入学後も保護者会・面談が続く
・登下校の付き添いもあり

働きながら予定を調整するのは大変ですが、その分、学校からの情報はかなり多い印象です。

ただ、不思議なのは、これだけ情報があるのに「わからないことはわからない」という感覚が残ることです。

保育園のように毎日先生(大人)と顔を会わせる機会のある生活から一変して、
宿題や、翌日の持ち物は、子どもの記憶頼り・・・
「今日何か言われた?」と何度も聞いてしまう日々です。
「忘れた」と言われる日もしばしばです。

情報が多い安心感と、日常の細かい不確かさ。このバランスにまだ慣れないまま過ごしています。

そちらはどんな感じですか?

ーーーー

愛さんへ

お手紙ありがとうございます。誰かと手紙のやり取りをするのは本当に何十年ぶりで、とても懐かしい、嬉しい気持ちになりました。

それもこれも小学校入学から1ヶ月経ち、本当に、やっと少し落ち着いてきたからこそ、実感することができるのだと思います。

息子の通う小学校は、愛さんの小学校のように親が実際に学校に行くことはまだ少ないですが、なんだか気が張り詰めてしょうがない毎日を過ごしていました。

入学式の日にもらった、道具箱・算数セット・教科書・ノート・通学帽子やランドセルカバー、それらすべての怒涛の名前付けに縫い付け作業。

手紙とアプリで配信される、持ち物、連絡事項、各種締め切り。

小学校への送り迎えはいつまで続けるのか、GPSを持たせるべきかなどの悩みや、学校からの持ち帰り品の確認、宿題、明日の持ち物確認などなど…。

『小1の壁』経験談は事前に色々聞いていたけれど、いざ自分が渦中に入ると「こんなに大変なの?!」と驚きが隠せません。

「なんで宿題持ち帰ってきてないの?!」

「この朝顔の種は何?!学校用?家用?!」

「毎日ノートがない!明日の持ち物がわからない!」

※毎日ノート…うちの小学校のやり方で、週間の時間割や持ち物、宿題が書いてあるノート。これがないと詰みます。

などなど、毎日のようにパニックです。

ただ、私が手を出しすぎてはいけないな、あんまり先回りして心配し過ぎてはいけないな、とも思っています。息子が学校で困らないようにと、過剰に心配しすぎている自分がいるのですが、もっと大らかに息子を見守って、息子のやることを信頼して、多少失敗しても「まあ大丈夫だよ」と言える親になりたいです。

しかしどうも心配が上回ってしまい、心配性ソワソワ母さんがやめられません。私もまだまだ不慣れな日々を送っています。

ところで、愛さんに聞きたいことがいろいろあります。

入学前にやっておいて良かったことはありますか?まだ入学して間もないですが、何かあったら教えていただきたいです。

「うしろめたさ」と付き合う

自己紹介

大竹ココです。

ユトサトリ。という劇団の主宰で、主に脚本と演出をしています。俳優もたまーにします。

劇団活動は子供が1歳になるまでは年二回ほどのペースで公演を打っていましたが、今はペースダウン。

最近は外部から舞台脚本のお仕事をいただいたり、高校で演技の講師をしたりしています。

短時間ですが、週三回ほどパートもしています。子供が産まれてから先々のことを考え、パート先の雇用保険に入りました。

子供は現在二歳半。やんちゃで甘え上手な男の子です。お喋りが上手になってきて、交渉することを覚えたので日々心理戦です。ハンターハンター。

今の生活について(ここまで惚気)

子供が保育園に行っている時間、子供が寝てからの時間、子供が起きる前の時間に仕事を詰め込んでいて、基本的には保育園のない、日曜・祝日以外は週5~6日稼働しています。

毎日大変ですが、今の生活は結構気に入っています。

出産前は「演劇」「(生活のための)仕事」という二本の竿で釣りをしていたんですが(お、大丈夫か? この例え)、ここに産後は「育児」という竿が加わる。しかもその竿は常時大物がかかっている。三本はさすがに両立できないので、竿を一本捨てた方が現実的だ。生活費は絶対に必要。となると、捨てなくてはならないのは必然的に「演劇」の竿になるだろう、と考えていました。

ですが、今、三本の竿を使いこなしている自分がいるわけです。しかも産前はほとんど魚(金)のかからなかった「演劇」の竿で魚が釣れている。毎日必死ですが、取捨選択しながら、三本の竿をどれも諦めない、自分らしい生活が送れている気がします。

私は頑張っている自分が大好きなので、今の自分が好きだなあと感じます。かっこいい♡

夫も同業者(劇団主宰、脚本、演出など)なので、公演が近くなると育児に参加するのは中々難しいですが、それ以外の時は、保育園のお迎えやら、お風呂やら、協力的でワンオペも安心して任せられます。子供が急に熱を出した時なども、私が仕事に行っている間子供を見てくれる事もあり、本当に助かっています。ありがとう!!

お金持ちではないけれど、自分たちは比較的時間に余裕のある家族なんじゃないかという話を、以前夫としました。仕事柄どちらかが家にいることが多いし。どっちかが忙しい時は、どっちかが息子と向き合い、愛情を注ぐことができているのではないか。もちろん、もっと一緒にいてあげられたらな、と思う土曜保育の朝もありますが、自分が愛されていることを疑わない息子の態度を見るたびに、この生活を選んで良かったと思います。

先日、桜が満開の公園に三人で出かけました。売店でご飯を買って、木陰に座って食べていると心地よい風が吹いて、息子が「あーしあわせー」と言いました。どこで覚えたの?その言葉!!

幸せだなあと思いました。

感じた「うしろめたさ」

「なんだよ、惚気コラムかよ」と思ったそこのあなた。ここからが本題なんです。行かないで。

先日、「こえのわ」を運営しているプラットフォームデザインlabさんの座談会に参加させていただきました(「子育て座談会~俳優・スタッフ一緒に編」参照)。

俳優、スタッフみんなで「子育て×舞台芸術」について語るという企画だったんですが、他の参加者さんに比べ、このトピックについての自分の言葉のなさに驚愕しました(記事を見ると結構喋ってるんですが、喋ってるのと言葉にならないはまた別物で)。皆さんの言葉の端々から、日々、子育てと舞台活動に奮闘しながらもしっかり向き合っている様子が伝わってきました。普段立ち止まって考えていることは、口から、書き物なら手から、解像度の高い言葉がスラスラ出てくるものです。私は今まで子育てと演劇のこと全然考えられていなかったということを身を持って感じました。

「私が子育て演劇人のロールモデルになろうじゃないか!」なんて当初は燃えていたはずなのに。

座談会では、子育てしながら演劇活動することについて、初めて声に出して話しました。初めて。

こんな話していいんだ!みんなの話もっと聞きたい!という嬉しさと同時に、今まではこういう話をしないようにしていたんだな、なぜだろう?という疑問が浮き上がりました。(この気付きを得られたことが何よりの収穫でした。参加して良かった!)

弱音吐いたら負け、じゃないけど、なんというか、子供を育てながら演劇活動をすることに「うしろめたさ」のようなものを感じていて、演劇の現場では「子供を育てています。」ということを公言はしているけど、表面には出さないようにしているというか。座談会ですら、私のような者が子育てについて語るなんて厚かましいのではないか、という引け目を感じながら話している自分がいました。

なぜなのか。

この原因が、座談会でお話した、稽古場で感じた申し訳なさ、プレッシャーに繋がっているのかもしれません(子育て座談会~俳優・スタッフ一緒に編~(前編)参照

結局、このプレッシャーに耐えられる自信がなくて、現場の仕事から距離を置いているところもあると思うのです。

「うしろめたさ」の正体

何が「うしろめたさ」の根源になっているんだろう。ちょっと考えてみました。

(私の心理分析に付き合わせちゃって申し訳ありません。だけどこれ、私以外にも当てはまる方いると思って。)

まず浮かんだのは、出産前後の時期にご迷惑をおかけした演劇関係の方々への申し訳なさです。

当時は人生も仕事も追い込まれていて、多くの方に負担を強いてしまいました。大変申し訳なかったという思いが今もあり、ご迷惑をおかけしてしまった方々には都度お詫び申し上げながら今に至っています。

けれど、それを理由に「演劇をやめるべきだ」とは思いませんでした。むしろその失敗を糧に、同じ過ちを繰り返さないよう、自分の活動スタイルをアップデートすることにしました。

主宰、脚本、演出、プロデュース、助成金申請、その他諸々……元々、かなり無理のある活動を「若さ」「気合」で何とかしていた自覚はあります。いや、何とかなってはいなかった。何とかなったことにしていたという表現が合ってるか。

あの経験は、私にとって「演劇を長く続けていくため」に不可欠な通過点だったとも言えます。

そう考えると、この「うしろめたさ」の正体は、過去への謝罪とはまた別の場所にあるような気がします。

もう一つ思い浮かんだのが、10年近く前、ある演出家に言われた言葉です。

もうずっと忘れていたのですが、子供を産み、演劇の仕事に取り組むたびに、何度も思い出すようになりました。……なんだかこれが根源っぽいので、このまま書き進めることにします。