往復書簡④ 小一生活 初めての夏休み
プラットフォームデザインlab/原田愛・松本ゆい
目次
愛さんへ
ハンバーグとスパゲティのエピソード、すごく共感します!私も、「こんなに色々やったのに、食いつくのそこ?!」とか、「感想それだけ?!」ってしょっちゅうなっている気がします。
特にうちは今回の夏休みの場合、親子でかなり温度差があり、私はショックを受けてしまいました。
前述したようにうちは長期休みを取ることができないので、土日だけでもいつもより特別なことをしようと思って、結構色々なところへ行きました。
・映画館×3回(トイストーリー5、ムーミン谷の彗星、ミニオンズ)
・こども劇
・泊まりで海
・科学技術館
・こえのば
・キドキド
・親戚(いとこ)のおうち
・小学校盆踊り
・サッカー観戦
・友達のおうちでプール
毎週末どこ行こうか考えて、当日の手配をして、準備して。これだけやって、最後に夏休みの感想を息子に聞いたら、「別に普通だった。思ってたより休みっぽくなかった。」とだけ言われて、思わず「え、それだけ?!」と聞き返してしまいました。笑
息子が月曜〜金曜まで通っていた放課後子供教室事業は、通っている小学校の敷地内にあるので、結局毎日学校に通っていることになるんですよね。なので息子は、「夏休みって言っても学校の日と変わらないじゃん」と思ったみたいです。
息子の夏休みは、休みの日にあれこれ行ったことよりも、夏休みが案外休めなかったという印象の方が強かったみたいです。
お出かけの記憶は一体どこに行ってしまったの?という感じです。
ひとつひとつのお出かけについて聞いていくと初めて、「ああ行ったね、楽しかったよ」くらいの感想が返ってくるのですが、もうこっちは「生まれて初めて海に入ったじゃん!」「科学技術館で夢中でボール転がしたじゃん!」「いとこに会えてあんなに喜んでたじゃん!」と、なんとか週末のお出かけの感想を聞き出したくて必死です。笑
もちろん、「これだけやったのに!」は、単なる親の身勝手であることはわかっているのですが。。でももうちょっと、いつもよりちょっと特別なお出かけをした日々に対して、もっとキラキラした感想がほしかったです。
そのやり取りを聞いていた夫が「お母さん、夏休み頑張ったね」と労ってくれたので、ちょっと救われました。
と、ここまで書いて気づきましたが、愛さんが言う「夏休みは親子で一緒につくるもの」という考え方が私には抜けていたようです。親が一方的に子どもに「ここに行こう!」と企画して連れて行ってたので、息子にとっては「親に連れてかれた」感覚だったのかもしれません。もっと息子の「夏休み中にやりたいこと」を聞いてあげていれば、息子の感じ方が変わったのかもしれません。
そうですね。こうやって文字にして考えを整理するのは、やはり大事ですね。
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ゆいさん
「別に普通だった。思ってたより休みっぽくなかった。」
息子さんのこの一言、なんだかすごく心に残りました。
そして、その前に並んでいる夏休みのお出かけの数々を見ていたら、毎週末「今週は何をしよう」と考えて、予定を立てて、準備していたゆいさんの姿も浮かんできました・・・
「え、それだけ?!」ってなりますよね(笑)。
私もきっと、「海は? 科学技術館は? あれも楽しかったよね?」と、同じようにひとつずつ思い出させたくなってしまうと思います。
そんなやりとりの横で、ご主人が「お母さん、夏休み頑張ったね」と言ってくれたというところを読んで、私までちょっとほっとしました。
子どもの夏休みのことばかり考えていたけれど、こうして振り返ると、親も親で、一生懸命ひとつの夏休みを過ごしていたんですよね。
一方で、息子さんにとっては、一つひとつのお出かけよりも「結局毎日学校に行っていた」という感覚のほうが大きかった。同じ夏休みを一緒に過ごしていたはずなのに、親と子どもでは、見えていた夏休みがこんなに違うんだなあと改めて思いました。
我が家でも、この夏を振り返っていて、少し似たことを感じています。
前のお手紙では書かなかったのですが、娘にとっての夏休みの経験って、親が「夏休みらしいことを」と用意したものだけではなかった気がします。
我が家は普段、学校へ行くときも駅まで送り迎えをしていますし、公園やお友達の家、習い事へ行くときも、親が送迎したり一緒に行ったりすることがほとんどです。
だから夏休みに近所の学童へ通ったことは、娘にとって、親と離れて自分の住んでいる地域で過ごす、ひとつの新しい経験となったようです。
私自身は子どもの頃、近所の友達と「今日遊ぼう」と気軽に約束することはあまりなく、友達と遊ぶとなれば、前々から予定を合わせるような感じでした。
それに比べると娘には、保育園の頃からの友達、学童でできた友達、同じ学校に通う近所の友達と、歩いて会いに行ける範囲にいろいろな友達がいます。この夏は、近所を歩いているだけで「あ、お友達!」とばったり会うこともぐっと増えました。
そんな様子を見ていると、娘にとって家だけでなく、住んでいる地域そのものが少しずつ「安心して過ごせる場所」になってきたように感じます。
親がいなくても安心して過ごせる場所が増えることや、自分の暮らす地域に知っている人が増えていくことも、娘にとっては、自分で考えたり行動したりする「自律」への小さな一歩だったように思います。
そういえば夏休みの前に、学校から「子どもの興味を広げるようなことを、ぜひ計画してあげてください」と言われていました。
そのときは素直に「夏休みにどんな経験をさせよう」と考えていたのですが、今振り返ると、その「興味を広げる」ということを、親の目線で考えているのか、子どもの目線で考えているのか、あまり意識していなかったなと思います。
「親が子どもにさせたい経験」と、「子ども自身がしたい経験」、そして、親が意図していなかったところで子ども自身が見つけたり、心に残ったりする経験。それぞれ少しずつ違うのでしょう。
これは、「こえのわ」の活動を通して私自身が子ども向け作品について考えてきたことにも、どこかつながる気がしています。
子ども向けの作品や場も、大人が「こんな経験をしてほしい」と考えてつくる一方で、そこで何に惹かれて、何を面白がって、何を持ち帰るのかは子ども自身のもの。
大人が何かを用意することと、子ども自身がそこから何かを見つけること。その両方があることを忘れないでいたいなと思います。
初めての小学生の夏休み。始まる前には、宿題はどうしよう、生活リズムは崩れないかな、どこかに連れていった方がいいかな、と心配していたけれど、終わってみると、親の私にもいろいろな発見があった夏でした。
来年の夏休み、娘がどんなことをしたいと言うのか、そして私がどんな夏にしたいと思うのか。少し楽しみにしておきます。

