子無し50代それなりに幸せ

-経緯と今の状況-

30歳で照明家と結婚。夫の仕事があまりにハードなので、見かねて運転免許を取得し、機材車運転や現場でのサポートをする。現在、社員5名の小さな照明会社に所属しつつ、着物部門を作ってもらい、着付ワークショップやアドバイス・着物レンタル・舞台衣裳関係なども行う。

子供は居ないけれど、夫婦仲はすこぶる良好で、今は静かな生活を送っている。が、最初から子供を持たない選択を望んでいた訳ではない。ただただ目の前の仕事をしているうちにタイミングを逃してしまった。

-30代の経験-

30代はまだ役者をしていたこともあり、無我夢中で自分の出演する舞台に邁進しながら夫の照明現場を手伝う日々。時間や人がとんでもなく足りない現場も、力になってくれる仲間のお蔭でなんとか乗り切ってきた。子供はもちろん欲しかったが、当時は経済的にも時間的にも余裕がなかった。

当時の住居は日野市(夫の持ち家)で、毎回様々な劇場やホールに通う訳だが、その通勤だけでかなりの時間を要した。朝9:00入りなら6:00には出て、夜22:00退館して帰宅したら23:30を越えることもしばしば。私の運転中は、夫は寝かせてあげたかったし、行き帰りの運転だけでも、私も大変だった。

-40代の経験-

気付けば40代。着付師範の資格を取得し、下北沢で着付レッスンをスタートさせる。

ただただ走ってきた30代とは違い、自分のやりたい方向性が見え、軸が出来たのが40代だった。

照明家としてのキッカケになる即興ダンスの舞台も始まり、年に数回レギュラーで続けているうちに予算も増え、様々なアーティストさんから芋づる式に依頼をいただくようになり、やりがいを感じて来た。

照明の現場では、今まで「嫁」という立場で「手伝っている人」でしかなかった私が、初めて自分の現場を持ったことで、アイデンティティが生まれた。

パンフレットに名前が載ったことが、自分にとっては、実に大きなことだった。

夫の明かりを見続けて来たので、感覚でどうすれば良い明かりになるかが、自然に分かっていた。それは経験値も有るが、役者をやっていた時よりも長けているように思えた。

同様に着物の知識は舞台衣裳としてニーズが有り、そちらでも仕事が舞い込むことになる。仕事は順風満帆の一方で、子供を持つことへの意欲は反比例して行く。気付けば40も半ば。結果的に子供出来なかったな、という感じだった。

-育児ママをリスペクト-

話はだいぶそれてしまったが、仕事ばかり夢中で計画性0の結果、結局ノーキッズ。育児をしながら働くママさんたちは尊敬に値する。

子供を産み育てる世代のお母さんたちこそ、今、一番脂が乗ってバリバリとクリエイティブな仕事ができるだろうに、お子さんがいることでそれがままならないのが現実で、更に日本の社会はそこに全く重点を置いてくれない。『子供がいるから仕事できないよね』という考え方が当たり前の、助け合おうともしない男社会の腐った世の中である。本当に勿体無い。

だから助け合って現場に送り出したいという気持ちが強く、うちの照明会社の子供のいるメンバーのサポートをしている。保育園にお迎えに行ってお家でご両親をお子さんと共に待つ。これは彼女や私だけでなく、うちの会社にとっても、彼女の現場にとっても大切なミッションで、彼女にはもっと才能を生かして照明の仕事をいっぱいしてもらいたいのだ。

そんな仕事のできるママさんたちにエールを送りたいし、社会の意識こそ変えなければいけないと思う。

-病気があったからこその今とお気楽な50代の野望-

子供が居なかった分、やりたいことだけをやって生きてきた気はする。

割愛したが、卵巣膿腫と乳癌で動けない日々もあった。

40半ばで病気→手術・入院→動けないのでNetflix三昧→韓国ドラマにどハマり→独学で韓国語勉強中→韓国で着付の仕事が出来ないもんかと野望を抱く今日この頃である。

なので、子供が居ない=自分の時間が多いに有るからこその、新たな野望を狙いに行く力もまだ有る。

それはそれで、楽しい人生でもあると言える。明日死んでも悔いはないが、まだこれからどうなるのか自分の人生だけでもだいぶ興味深い。

子供はいなけりゃいないで残念ではあるが、それはそれ。お蔭様でそれなりに楽しい人生である。

4日後に初産

東京住みの28歳で舞台関係の仕事をしています。

子どもをもつことは、都市部、殊に東京ではメジャーではありません(※1)。そして舞台業界ではさらにマイノリティであると体感します。

子どもをもたない選択もできる環境(選択しやすいという意味で)ですが、子どもをもつことを決めました。

前半ではなぜ子どもをもつことにしたのかということ、後半では妊婦として約10ヶ月を過ごした感想を書きます。私は劇場職員且つベビーシッターですが、その立場からではなく、初産を控えるひとりとして今回は書こうと思います。
子どもをもつことを悩んでいる人の参考に少しでもなれば幸いです。自分語りご容赦ください。

「子どもを育むこと」に比較的関心の高い幼少期を過ごしました。
小学1年生のときに妹が産まれ、幼い子どもと暮らす日常を過ごしていたからだと思います。7歳下の妹(三女)はかわいくて、2歳下の妹(次女)と取り合うようにして世話をやいていました(隙あらば抱っこし、手遊び歌をしたり、お人形のように髪を結んだり)。
子どもを可愛がることで自分自身が満たされて、幸せを感じられると知りました。

わたしは反骨精神強めの子どもで、大人(親や先生など)の態度・言葉に人一倍敏感でした。
「自分はああなりたくない」と、言われた言葉を自由帳にメモしたり、マンガ付きの育児本を読んだりしていました。
また、小さな子どもの情緒や身体を大人の都合の良いように軽率に操作できてしまうことが恐ろしいと思っていました。

自分より小さい子どもに自分が実際にかけてもらって嬉しかった言葉・かけてほしかった言葉を伝えることで喜びを感じるのと同時に、自分の嫌だった言葉や態度をとらないことで、嫌いな大人たちと自分は違う存在だと思うことができました。
これは当時の多感な私にとって重要なことだったと思います。

このように、子どもを育むことは10〜20代で自然と自分ごとになっていきました。

「子どもをもつこと」を強く意識し始めたのは20歳を過ぎてからでした。
地元の同級生の出産をSNSで知ったり、同い歳のはとこが20歳で出産したりして、その度に「私は産むのか?」と自問自答しました。

子どもを産まない人生がいいと思うくらい舞台へ没頭できたらいいのにと苦しみましたが、私にとって舞台の仕事は生きていくための手段で、子どもを産まない理由には結局なりませんでした。
そして「誰と暮らしていくか」は「どう暮らしていくか(仕事、ライフスタイルなど)」以上に、自分にとって大切なことだとある時にわかりました。
ここ数年、両祖父の死によって法事の場などで「家族」を見直したことも、子どもをもつことを決断するきっかけになりました。

舞台活動と並行する仕事には保育を選びました。
保育園は忙しく、子どもひとりひとりに向き合いきれないジレンマがありました。シッターは子ども1〜2人に密着して関わり、家庭内でゆとりある保育ができて、ご両親と成長を喜びあえることが自分に合っていました。
シッターの経験を積む中で、妊娠・出産・育児経験があることでより家庭に寄り添えると感じました。

また、勤務先の福利厚生(産休と育休が取れて社会保険の手当てを受けられる等)や、出産育児一時金(50万円※2)、東京都の出産・子育て応援ギフト(合計15万円分※3)なども現実的に子どもを「産める」と判断する条件になりました。

以上が、「子どもをもとう」と決断した経緯です。

※1
東京都の合計特殊出生率は全国ワースト1位(令和6年(2024)人口動態統計月報年計の概況|厚生労働省)

※2
出産育児一時金(※各区市町村の条例により定める額)

※3
東京都出産・子育て応援事業 ~赤ちゃんファースト~

痛(いた)、気持ちよくゆらぐ

子育てと仕事の「両立」という言葉への疑問

 子育てと舞台芸術の両立ということについて考える時、私自身この「両立」ってなんだ!?となり今現在も振り回されっぱなしです。


 そして作品や人の話を聞くのは好きですが、自分の話を人にするのは正直苦手です。
…と言いつつ自身の考える「両立」について見つめ直す意味でこうしてアウトプットしてみようと思います。

(2025年10月現在)

海外への子連れ出張

ここ数年で思い出深いのは、娘が小学一年生の時の(2023年)1ヶ月ほどのワンオペ子連れ海外出張でした。 後にも先にもきっとこれからはなかなか実現が難しいだろうなとも思いつつ、プロダクションの皆様の寛容さと、現地での受け入れの方々の柔軟な対応で成立した機会でもありました。

この時の滞在はドイツ・フランクフルトで開催される演劇祭にて2演目作品の上演(そのうち1本は新作)。出国前、小学一年生の子供託児に困っていたところ、いろんな方々からの協力があり現地で日本人のキッズシッターの方を紹介していただきました。

日本で行政のショートステイ※やシッターさんに頼む機会はこれまでもありましたが、海外で探すのは少しハードルが高かったので紹介してもらった時はとても安心しました。
(今思う本当に奇跡だなと… )



ドイツでは最初の一週間は再演の仕込み〜リハからの本番となり、連日劇場に来ていただくような形でシッティングをしていただきました。夜遅い時間もあり、滞在先のアパートに連れて帰っていただきながらの保育となりました。

次の新作の演目は日本でもリハーサルも行なっていましたが、向こうの劇場の稽古場に入っての集中稽古は早い時間に終わることもあり、子供と過ごす時間も確保することができました。リハーサルの間はシッターさんには近隣の公園やプール施設、博物館等様々な施設に子供を連れて行ってくれました。
(子供の学校の学習はドリルや、もらった宿題を現場に入る前の朝にやっていました)

ユーロが高く親子共々連日弁当生活

帰国前の出国時には空港まで見送りに来てくださり、シッターさんのお力がなければこの長期完走することができませんでした。今でも大変感謝しています。

子供もよく最後まで体調も崩さず乗り切ってくれたと…

私と子供のタイムラインは当然違う

海外ツアーを経て、子供の成長と共に自分と子供のタイムラインが明確にあるのだということに気づきました。これまではどうしても親として「管理してなくては」という気持ちが大きいと感じていたところ、子供の意志を尊重して「手放す」ということを意識したいなと考えはじめました。

今年から学童保育も離れて早い帰宅を迎える状況が続き、保育園〜小学1.2年生の頃から更に状況が変化しました。平日の放課後や休日も最近は友達同士での約束も増え、その分友人間のトラブルもないとは言えません。

それでも子供が学校や習い事、それ以外の場で過ごしている時間を心配しつつ、想いを馳せるような日々です。

家族同士のケアの変化

我が家の場合は、子供が産まれてからは家族どちらかが家を空ける、を定期的に繰り返しています。
そのため、どちらかがワンオペの状態で仕事を家事をこなさなくてはいけない場合がほとんどです。

最近は夫が舞台監督として本番をやりながら、私が3週間海外ツアーで家を空けるという状況は思いの外、相手に負担がかかる結果となりました。
その中で、互いの育児のやり方や生活的な見えないケアに気付きづらい面やすれ違いもあったように思います。
それについては家族の生活や時間を見つめ直しながら、パフォーマンスを落とさない方法を模索中です。

娘もしっかり親に対しても意見を言ってくれるようになり心強いです。

私にとってもこうして子育てや仕事について言葉にして記す、出力する作業そのものが自身のセルフケアになるような気もしています。

娘とエンタメを楽しむ!

私と娘の楽しみはとにかく映画や舞台を見に行くことです。映画はアニメだけでなく洋画や実写映画も楽しめるようになり、月に2回ほどは一緒に映画館に行く日々です。 舞台は内容にもよりますが、最近は2時間のお芝居や海外のダンスカンパニーの作品も楽しく観劇できるようになってきました。

子供の生活の中の一つの選択としてお芝居やエンタメを楽しむことを選んでくれるのは嬉しく思います。

子供がいくつになっても正解のない子育てと仕事の「両立」の日々に翻弄されていますが、その「ゆらぎ」も痛(いた)、気持ちよく楽しむ、なんだかんだそれもまた心地いいのかもしれません。


※ショートステイ・子育て短期支援事業について

こども家庭庁https://www.cfa.go.jp/policies/kosodateshien/jido-short

息子が国立大学の物理・宇宙専攻に進学した話

2004年生まれの息子は、今年21歳になる大学3年生です。 現在は鹿児島大学の理学部で、物理・宇宙プログラムを専攻しています。

私は舞台美術家、妻は舞台俳優をしており、息子は全く違う道に進んだなと感じています。しかし最近、息子は音響に興味を持ち始め、「音響工学や音響設計を学びたい」「劇場やライブハウスで働いてみたい」などと言い出し、あれっ? なんだかんだで親の仕事に近づいてきたな、とも感じています。 まあ、子供の進みたい道を親が縛ることはできません。結局は本人のやりたいことを尊重し、応援していくしかないのでしょう。 そんな我が家の、大学進学までの子育てについてお話ししたいと思います。

高校はどこにする? eスポーツ、ギター、それとも自由の森学園?

小学生時代の息子の習い事は、公文とサッカーくらいでした。特にサッカーが好きというわけではなかったようですが、中学でもサッカー部に入部し続けていました。しかし、どうも部活に馴染めなかったのか、サッカーへの情熱は次第に薄れていったように思います。

中学生の頃、息子が突然「プロゲーマーになりたい」と言い出しました。当時、彼は「フォートナイト」というゲームに夢中で、お年玉を貯めて専用のパソコンまで購入するほどでした。そして高校進学にあたり、「eスポーツができる高校を選びたい」と。 今でこそeスポーツは一つのスポーツとして認知されていますが、いざ自分の息子が本気で目指すとなると話は別です。子供の意思を尊重したいとは思いつつも、私も妻も「プロゲーマー?」と、かなり不安に思ったことを覚えています。

これと同時期だったでしょうか。息子は星野源が大好きで、それがきっかけでギターを習い始めました。その時に進学先として浮上したのが、星野源の出身校である自由の森学園です。eスポーツの高校の話はいつの間にかフェードアウトし、次は自由の森学園への進学が目標になりました。自宅から通うにはかなりの距離があるため、もし進学するなら寮生活になります。学校説明会にも参加し、寮生活と自宅通学のそれぞれについて、かなり綿密にシミュレーションもしていました。

揺れ動いた進路と、コロナ禍での変化

高校進学に関して、私たち夫婦から何かを勧めたことはありません。そんな折、私と妻が所属する劇団が兵庫県豊岡市へ移転することが決まり、「私たちも豊岡へ行く?」というテーマで真剣に家族会議をしました。実際に豊岡の高校を見学にも行きました。この時は本当に悩みましたが、私たちの実家が関東圏であることや、息子自身が現地を見て「やはり東京の高校に進学したい」と言ったため、豊岡への移住は断念しました。

プロゲーマー、自由の森学園、豊岡の高校。様々な選択肢が浮かんでは消え、高校進学はかなり迷走していました。紆余曲折ありましたが、最終的には都内の進学校を受験することに決め、中学3年生で公文をやめ、夏期講習から塾に通い始めました。公文のおかげで数学だけは得意でしたが、他の教科は今ひとつ。それでも、塾の先生との個人面談で紹介された高校を息子が気に入り、学力的にも合っていたため、そこへ進学することになりました。

息子が高校に入学したのは2020年4月。まさにコロナ禍の始まりと重なります。高校生活がスタートしたものの登校はできず、オンライン授業が続く毎日。このままでは再びゲームの世界にのめり込んでしまうのでは、と心配しましたが、どういう心境の変化か、息子は急に勉強に目覚め、「東大に行く」と言い始めたのです。 どうやらこれはYouTubeの影響らしく、教育系や勉強系のYouTuberに感化され、高校1年生の時に「東大合格」が明確な目標になったようでした。自分でオンライン塾まで調べてきて、「やりたい」と言う息子を止めることもできず、塾代の高さに苦労しながらも通わせることにしました。幸い、その勉強熱は高校3年間続きました。

2021年にドラマ『ドラゴン桜2』が始まると、息子の東大熱はますます高まりました。しかし、やはり東大の壁は厚く、高校2年生から3年生にかけて、志望校は東北大学や九州大学といった地方の国立大学へと変化していきました。この頃から、東京以外の大学にも興味を持ち始めていたのかもしれません。 親としては、国立大学へ進んでくれるのは本当にありがたい話です。学費は私立の半分以下ですから。私が教えている私立の演劇大学と比較すれば、3分の1以下です。そこに通わせているご家庭は本当にすごいなと。

なぜか物理・宇宙へ。そして今はギター三昧の日々

さて、最終的に息子が進学したのは、鹿児島大学理学部の物理・宇宙プログラムです。志望校を決めた時、私も妻も思わず「えっ!? 宇宙、好きだったっけ?」と聞き返してしまったほどです。本人曰く、ホーキング博士の本などから影響を受けたとのことでしたが、そんな話は全く聞いたことがなかったので、本当に驚きの選択でした。まあ、数学が得意だったので、理系に進んだこと自体に大きな驚きはありませんでしたが。

入学後の大学生活も全く予想しないものでした。 もともとアコースティックギターは弾いていましたが、まさか軽音楽部に入ってエレキギターを弾きまくる日々を送るとは。「物理と宇宙はどこへ行ったんだー!?」という感じです(笑)。たまに電話で近況を聞いても、ギターの話とイタリアンでのバイトの話ばかりです。

そんな大学生活もあっという間に2年が過ぎ、現在大学3年生。1年後、息子が何を目指しているのかは全くわかりません。 ただ、劇場やライブハウス、ホールといった場所に興味を持つということは、幼い頃に私たちが劇場へ連れて行っていた記憶がどこかに残っているのかもしれません。

 

共にやっていくこと、うまい頼りかたを見つけること

子供はまもなく1歳になる。生まれたのは2024年の10月だった。記念にその日の朝刊をとってあるが、一面にはでかでかと「石破内閣発足」とある。この文章を書いている現在は「辞任」のニュースが世間を騒がせている。子育てに奔走している間にも世の中は動いているようである。

その直前の9月、私が代表を務める演劇プロジェクト《円盤に乗る派》は、東京芸術祭にラインナップされた公演『仮想的な失調』を上演していた。実はこの話をいただいたとき、すでに妻の妊娠は発覚していた。上演日程は臨月のはじめごろと重なっており、稽古中から本番まで、いつ私(演出家)がいなくなるかわからないという前提でプロダクションは動き出した。幸いにして再演であったし、もう一人の演出家である蜂巣ももさんもいたし、何より東京芸術祭のスタッフさんも含めた関係者のみなさんの理解のおかげで、あらゆるパターンを踏まえた「いつカゲヤマがいなくなっても公演は実現できる」体制を敷くことができた。大変だったと思いますが、本当に感謝しています。

実際のところは生まれたのは公演終了後で、大きなトラブルもなかったのでほっとしている。お産にも立ち会うことができた。いきむときに踏ん張れるように肩を貸したり、ボールを押し当てたりする役もやった。まもなく生まれるというとき、陣痛の波の合間、妻は私の様子を見て笑って「あなたは息を止めなくていいんだよ…」と言った。無意識のうちに一緒に息を止めていたのだ。私も必死だったんだと思う。

産後については、3ヶ月は何も仕事を入れずに子育てだけに集中する期間とし、そのあと3ヶ月は育児もしつつその合間にできるところから稼働を始め、さらに半年くらいかけて徐々に活動を再開していく、という1年間のスケジュールを組んだ(ちなみに妻は勤め人で、同様に1年間の育休をとっており、まもなく職場復帰の予定)。

そうして始まった育休だが、かなり反省点も多い。今思うとかなり自分は「気負ってしまっていた」ように思う。「育児のタスクをこなさなければ」「家事もしっかりやらなければ」「家は清潔さを保ち、常に整理されていなければ」「妻も産後の身体だから、それらをまず自分がやらなければ」というような気負いがあり、例えば妻が洗濯をしてくれたときなどに「洗濯をさせてしまった」という負い目から軽いパニックになりかけたりしていた。お産のとき一緒に息を止めてしまったように、おそらくここでも必死になっていたのだ。

そんなある時、妻に「息苦しい」「休まらない」と言われた。自分も家事をしたいし、育児にもできる限り参加したいので、その機会を取り上げないで欲しい、と。言われてショックでもあったが、もっともなことだと思う。それですぐに改善できたというわけではないのだが、そこから(何度か衝突を繰り返しつつも)徐々に自分の「気負い」や「負い目」もやわらいでいったような気はしている。

これは年々ますます自覚しているのだが、どうも自分は責任を他人と分担することが苦手のようだ。自分で全部を負ってしまうか、あるいは完全に手放してしまう。その合間のちょうどいいありかたが、どうもうまくできない。そしてこの特性は、育児と仕事や生活の両立において、非常に相性が悪い。

子供が生まれて約半年ほど経った2025年の3月に、『乗る派クラブ』というイベントを開催した。これも育児中の開催となることが決まっていたため、運営メンバーには前年夏の時点である程度の構想を共有し、みなさんに主導いただく形で運営をお任せした。しかし結果的には、想定以上の負担をメンバーに敷く形になってしまった。本来であれば私の方で巻き取ったり対応したりすべきところで、うまく稼働ができなかったのだ。イベント自体はよいものにはなったと思うが、精神的・体力的な意味で運営コストが高くなってしまったことは大いに反省がある。

団体の代表として、あるいは公演の企画者として、そして生活を共にする家族の一員として自分にこれから求められることは、0か100かではなくて「共にやっていく」ことだと思うし、「共にやっていく」なりの責任をとっていくことだと思う。それは、適切に人に頼ること、うまい頼り方を見つけていくことでもあるし、無理に自分で負いすぎないことでもある。これは当たり前のことかもしれないし、これまでもずっと課題ではあったのだが、自分にとってはとても難しいことだ。

実現には具体的なテクニックがいる。失敗だって何度も繰り返すだろうと思う。ひとまず、忙しくなりすぎないようにすること、時間的な余裕を常に確保すること、から始めていこうと思う。その意味でも、来年3月に予定している新作公演はひとつの大きな挑戦である。

サムネイル写真撮影:妻

【終了しました】おやこで一緒に!演劇ワークショップ

大人もこどもも、頭とからだをやわらか~くして
みんなで協力しながら、はじめてのことに挑戦してみよう!
「あれ、こんな顔もするんだ!」
「なるほど、そう考えたんだね」
ひとりひとりのアイデアを持ちよって演劇で遊んでいるうちに
親子でも意外に知らない相手の一面に出会えるかも…!

ちょっと変わった鬼ごっこしたり、おはなしの続きを考えたり、からだでまねっこしてみたり…
親子で話したり遊んだりしながら、たのしく演劇と触れ合います。
お互いの知らない一面を見つけたり、他の参加者と交流できる場です。

大きな声を出すのが苦手、引っ込み思案という人も大歓迎です。

わがやのスケジュールお見せします!①

対象者の紹介

今回教えてくれたのは…俳優Nさん(配偶者:俳優/非常勤職員、お子さん:長男11歳)

直近の本番は子役の子もいたので、だいたい18時までに本番が終わり、稽古も20時までで終わりました。だから息子が寝る前に帰れました!スケジュールを起こしてみて、客観的にどう過ごしているのか、どこを手伝ってもらったら楽になる?など、考えていきたい事柄だと改めて思いました!

兼業俳優が子育てをしながら演劇を続けて思う事など(「私は演じなければならぬ」のか)

はじめに

演劇にはいろいろな職業の人が携わります。
公演の企画を立ち上げる人。制作、作家、演出家、参加する音響、照明、美術、道具、舞台監督、劇場スタッフ、出演者などなど。
私は俳優です。スタッフさんとは違って、俳優には【職業として成り立っている俳優】と【そうではない俳優】がいます。私は後者です。演劇以外に収入源を持たないと家族を養う事が出来ません。そのためこの文章は、職業として成立していない俳優が子供を育てつつ、演劇に携わる際に起こる事、思うあれこれなどが記されています。
演劇活動は精神的にも物理的にもコストを必要とします。同じように子育ては精神的物理的コストを要求します。演劇か家庭かという選択が過去にあり、家庭を選んだ人間がどちらを優先するかは論じるまでもありません。私にとっては家族と子供の生活が最優先です。

どうやら私はまだ演劇をやりたかった

私は10年ほど演劇から離れていました。結婚や出産や生活などに伴う諸々の事情が重なって、物理的に演劇に携わる時間がとれなくなったのでした。具体的に書くとラーメン屋をやっていました。人生にはいろいろな事が起こるものです。10年ほどラーメンを作り続けた私は、諸般あれこれの果てにラーメン屋を閉店し、もう関わる事はないだろうと思っていた演劇と再び交わる機会を得たのでした。
35歳から45歳になった私の精神はいつの間にかホコリをかぶり、感受性は鈍麻し、細かい文字は読みづらくなり、体重は増え、酒を飲まねば眠れなくなっていました。私にとって10歳年を取るとはそういう事でした。10年ぶりに舞台に出るからといって若返るわけもなく、私はそのまま舞台本番に臨み、重力と動かない体を感じながらしかし、それらを抱えたまま舞台に上がる面白さを体感できたのでした。今の自分以外自分はいない。今を肯定せざるを得ない。自分は今のそれでしかない。
年をとればとるほど俳優という仕事は面白くなるのではないかと感じています。

とはいえ、赤ちゃんとはできるだけ一緒に居た方が良い


日々育つ可愛い生き物と一緒に過ごす時間は、自分が親になったことを自覚する大切なプロセスです。赤ちゃんは驚くほどの速度で生活能力を獲得します。寝返り出来るようになったと思ったらあっという間に歩きます。喃語(あーうー)から「パパまたお酒飲んでるの?」まであっという間です。
一つの能力は獲得してしまうと元には戻りません。初めて歩いたその瞬間を見逃すと「もう一回」はないのです。我が家にはもう「ぱぱだいしゅき、ぎゅー」してくれる生き物はいなくなってしまいました。奇跡のような時間は得難い宝物として心に残るでしょう。そういう意味で子供が幼児期を過ぎるまで、舞台出演は控えた方が良い。ベネディクト・カンバーバッチでさえ「小さい子供が3人いる我が家では、今は演劇は難しい(意訳)」と育児休業をとったそうです。

壁としての託児を超えて

宝宝で実施した『みどりの栞、挟んでおく』は、ゲイであることを公表して俳優活動をしている団体主宰の長井健一(以下、長井)が、俳優仲間であり、現在シングルマザーとして双子の育児と仕事に勤しむ大島萌さんの

「また演劇に関わりたい」という気持ちに向き合うことを前提に立ち上げられた企画だ。

私は本作の企画の立ち上げを行う中で「舞台芸術と育児」にはじめて向き合うことになった。

企画打ち合わせの際、長井は大島さんと自分の友人関係や子どもを持つことについての自らの考えに加えてパートナーとの思想的な折り合いのつかなさを語りつつ、「違う立場でも共にあろうとすることを諦めたくない。

非当事者として当事者が抱える問題に向きあいたい」という思いを示した。

話を聞いた時、私は「自分という主語を抱えたまま非当事者として向き合う姿勢」を企画のコアにしたいと考えた。

非当事者が当事者問題を描くとき、当事者が抱える固有の問題が、非当事者にとって共感性が高い普遍的な問題に置き換えられてしまうことがある。

壁の向こうにいる存在のディテールは曖昧だ。だからあてはめやすい形に加工して、「こいつらはこうだ」と語る。

自分と同質性のある事柄のみ抽出し、他を透明化する。

そうなれば作品はSNSで見るストローマン論法と変わらないレベルにまで堕落する。

理解とは程遠い悪魔化あるいは聖人化によって伝達力は増すけれど、当事者の実像は消える。

ゲイという主語を抱えた長井が育児当事者に関わる企画、双方に共通する生き苦しさがある一方、利益はときに相反し強く共感できない問題が存在すること、それでもなお共にいたいと思う友人同士の関係が描かれる作品の上演は、同質性の壁の中で、自分たちの問題のみを殊更に取り上げる傾向が強まる今の世界に必要なものだと思った。

企画実施にあたっては合理的配慮に基づきつつ、大島さんをはじめとした育児当事者にヒヤリングを行ったうえで、育児当事者(大島さんに限らず、観客も含めて)が罪悪感を少しでも抱かずにすむような施策をチームで考え実施した。

座組内では、関係者の子どもの面倒が見られるように稽古開始前に子どもとの関係値を築くことや、俳優・スタッフにオファー段階で公演コンセプトを説明し、劇場で子どもと過ごすことに同意してもらい、積極的に関わってもらうことを心がけた。

観客への施策としては安全性の高い外部事業者への託児の委託と、観客自らが知人や施設に託児をお願いすることを「セルフ託児」と定義し、その行為に対して割引を行う「セルフ託児ありがと割」の設置、赤ちゃんと見られる回を用意することで、育児の段階や子どもの調子などによっても変わる育児世帯の状況に可能な限り対応できるように努めた。託児施策の利用率はまちまちだったが、意義ある試みだったと思う。
などとここまで偉そうに語ってはみたが、私は自分と現在直接関係しない「育児」にあまり向き合いたいと思っていなかった。可能ならずっと見ないふりをしていたいと思っていた。それこそ「座組は育児世帯いない人で揃えて……

託児施策はまあとりあえず「マザーズ」呼んでおけばいいんでしょ?」というような理解度だ。

関わりたくないが、問題を無視することの体面の悪さから「やってる感」を出す言い訳として託児サービスを設ける。 

その程度の人間に託児サービスとそれを用いようと考える人たちの実態を掴めるわけがない。

託児サービスの年齢制限、申請期間の悩み、子どもを対象とする公演における音量や光量のレベル感の問題、そういった悩みも「育児」をテーマにし、公演単位で向き合うことでようやく知ったくらいだ。
きっと私は、本来壁を取り下げるものであるはずの「託児サービス」を育児世帯への壁として利用することで社会的に正しいポジションを取りつつ、無意識に育児当事者を自分から遠ざけていたのだと思う。

自分の実感に則したものに引き寄せれば生活保護における水際作戦と同様のやり口だ。非難してきたはずのものを少し立ち位置が変われば平然と他者にやってしまう。本当に愚かだと思う。

育児から遠く離れた同質性の集団の中で凝り固まった醜悪な自分の姿を公演準備の中で何度も発見し、その度に嫌気がさした。

けれどここで感じる居心地の悪さこそ、自分とは異なる他者の当事者性に非当事者として向き合うことそのものなんだろう。

ここまで露悪さや自虐を交えて自分という存在が「育児」という問題から離れた人間であると記してきたのは、私のような育児の当事者から距離のある人間にとっても「舞台芸術で他者の育児に向き合う」ことに価値があると思うからだ。

事実に即したメリットの話をしよう。

まず話題性。私たちが上述の公演コンセプトや託児施策を発表した後、公演経験はわずか一回の団体宛にインタビューのオファーがきた。

育児へのコミットの公言は広報面で有効だったに留まらず、非当事者のメンバーが「子育てと舞台芸術」に関するコラム執筆をオファーされるほど影響力があった。

次に集客。ありがたいことに『みどりの栞、挟んでおく』は初日の2週間前には全席が完売し(券売が一気に伸びたのは上述のインタビューの直後だった)、その後も増席を行うたび瞬く間に券が捌けた。もちろん魅力ある俳優を揃え、実力・注目度ともに申し分ない作家にオファーした結果だが、育児と演劇の関わりに悩む関係者・顧客が多くおり、その需要に応えられる施策を打ったことが券売に繋がったことは間違いない。

最後に適時性。本サイトを運営するプラットフォームデザインlabはセゾン文化財団創造環境イノベーション(※1)の助成に採択されているが、セゾン文化財団の申請の公募概要では、

事業で取り上げる課題は任意で広く募集するが、「舞台芸術活動と育児の両立支援」および「舞台芸術の観客拡大」を重点テーマの一つとする。

と明記されている。

さらに別の事例も挙げよう。

舞台芸術祭「秋の隕石2025東京」の公募プログラムに200件の応募の中から採択された「うたうははごころ」の企画もまた、育児当事者の俳優が母となり演劇との向き合い方を模索する中から生まれたものである。

プログラムの採択に関わるアーティスティック・ディレクターの岡田利規は、

うたうははごころを、育児中のママにだけ刺さるといったようなものではない。そうした文脈に限定されないしかたで、この社会に生きるわたしたち誰しものための演劇として、つまりいち舞台芸術として、「秋の隕石2025東京」はその新作、『劇場版☆︎歌え!踊れ!育て!ははごころの庭〜子供服は輪廻です〜』を紹介する。(※2)


と記している。

岡田さんの言葉をあえて雑に借りれば、舞台芸術と育児、それにまつわる諸々はきっとこの社会に生きるわたしたち誰しものためのことだ。

見つめるなら早い方がいい。どの世界でもそうだけれど、アーリーアダプターの方が得をする。

たとえ共感できないにしても、このくらい情報があればやった方が得とかやって当然の環境になっていることはわかるはずだ。

わかったならやろう。私も続けていくつもりだ。

本サイトが舞台芸術と育児にまつわる「こえのわ」を作るのであれば、非当事者のこういった声がひとつくらいあってもいいのではないか、「こんなダメで即物的な人間も育児・託児に向き合おうとした」というアーカイブを残すことには意味があると思い、ここまで筆を執らせていただいた。聞き苦しい声で申し訳ないが。

舞台芸術と子育てにまつわる情報を能動的にキャッチしに本サイトを訪れた方は私の文章なんて忘れ、当事者の声を聞き、考えを深め舞台芸術の世界を少しでも良くしていってほしい。

本サイトになんとなく義務感で訪れた方、育児を自分ごとではないと捉えている方も大歓迎だ。

偉いというと当たり前だろと怒られそうだけれど、私はあなた方の一歩も讃えたい。えらい。

今の私は「共感できなくとも取り組むこと自体に実利がある」と述べる程度のことしかできないが、これからも当事者の声を聞くことで、育児と舞台芸術の関係がより良きものになるような取り組みを考えていきたい。

壁としての託児を超えて。


(※1)公益財団法人セゾン文化財団 創造環境イノベーション
(※2)舞台芸術祭「秋の隕石」とは

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子どもと演劇作るのって最高!最高!最高!最高!

私が声を大にして言いたいことは、タイトルにある通りです。大変だったことや考えたことは山ほどありますが、それは誰かが書くでしょう。私はとにかく、楽しかったからみんなも「子育てと舞台芸術」に取り組もう!ということを書きたいと思います。

宝宝という演劇ユニットの企画制作・瀧口さくらです。先日、宝宝2かいめ『みどりの栞、挟んでおく』という、「育児との両立について、当事者でない立場から考える」を軸とした公演を上演しました。その公演において私は主に、週に一度は稽古場・劇場に俳優の大島萌(めぐみ)さんの双子のお子さんを連れてきてもらうためのプランを練り、そしてその子たちと一緒にいる担当でした。

最初の、そして最大のミッションは、双子と仲良くなること。なぜなら、双子にとって「親が稽古している時間」を「親が取られる時間」ではなく、「楽しい時間」にしなくてはならないからです。ただでさえ大人のエゴに巻き込んでしまっていることになるので、せめて私たちに会うことが楽しみになってくれたら、と願っていました。ただ、私はそれまで子どもと長時間過ごしたことがなく…。はたして好きになってくれるだろうか、と心配しながら、2024年9月末(もう一年前!)、顔合わせとして宝宝のメンバーで大島家にお邪魔しました。会ってみると双子がとっても人懐っこく、すぐに「さくらさん○○して~~」と一緒に遊んでくれて。ちょ~嬉しかった!し、とっても助かってしまいました。

いざ稽古場に来た時には、まずみんなで一緒にシアターゲームをしました。思ってた100倍できてて(ほんとに)、大人はみんなびっくり。それから、台本稽古が始まるタイミングで公園に行ったり、建物内の別部屋で遊んだり。そんな日々でした。お家で萌さんが双子に「みんなに会いに行くよ!」と言うと、ルンルンで出かける支度をしてくれていたとか。劇場入りしてからは、作ったご飯を食べさせたり、お昼寝をさせたり。長時間、初めての場所で萌さんと離れていたけど、ほんとにおりこうさん&元気ありあまるマンでした。どうか、二人にとっていい思い出になっていますように。

大人たちにとっても、双子に会えることはプライスレスな経験でした。稽古場にも劇場にも、日によって宝宝のお友達の大人がかわるがわる手伝いに来てくれたのですが、みんな双子にメロメロに。普段あまり表情が変わらない人やきちっとした言葉遣いで話す人も、双子に「○○さん!」と名前を呼ばれると、もれなく目じりが下がりまくり。なんていい顔なんだ…と思いました。

私は、この公演のおかげで、子どもに接することに臆さなくなりました。手をつないで歩く、電車に乗る、トイレに連れて行く。私でも、お手伝いできることがたくさん増えました。10年後、20年後の社会を良くしたいとより強く思うようになりました。1年前の私は、ここまでできるとは想像もしなかった。これらが私の人生において、どれだけ誇らしく、幸せなことか。子供に接する機会のない人こそ、尽力するべきなのです。

…それは、舞台芸術に関わってなくてもそうじゃないのか?それはそう。そうだけど、私が得られたこのスキルも、気持ちも、長期間のクリエイションを共にするという形でなければ得られなかったはずです。そして、親である以前に俳優であった萌さんに、また一人の俳優になってもらうためには、これだけの時間が必要でした。萌さんには、大変なことをお願いしてしまいました。私が手伝えるのは稽古場と劇場にいるときだけですから、生活にかかる多大な負荷を担うことは難しい。それなのに、最後まで一緒に頑張ってくださって、最後には「さくらさんと出逢えたことが財産」なんて言葉までくださいました。あぁ、やってよかった!その言葉に恥じないように、今後も頑張りたい所存です。

ということで、先週、双子と萌さんと一緒に、うんこミュージアムに遊びに行きました。次はもっとみんなで集まって、競馬場のデカ公園に行こうとしています。舞台芸術でできたご縁は、決してその場限りで終わるばかりではないのです。ほら、楽しそうでしょ?