手を貸す
俳優 高野ゆらこ
手を貸す。
慣用句としての意味は「困っている人を助ける」こと。
だけど、育児においての「手を貸す」は、文字通り「手」を「貸す」ことでもある。
幼子との生活は、手がいくらあってもいいんだと知ったのは、ある家族のところへ通うようになってからだ。
2019年にゆうめいという団体の『姿』という作品に出演し、わたしはそこで「母」という役を演じた。作演出を手がけた池田くんのお母さんがモチーフになった役で、2019年にも再演をし、さらに2021年には『娘』という別の作品でも同じく「母」を演じた。
当然だがわたしは池田くんの母ではない。
ない、けど、じゃあ赤の他人か、というとなんかもうそんなこともないんじゃないか、という気もしてくるくらいに、「母」の役はわたしの生活に入り込んできてしまった。
話を戻して、「ある家族」とは池田くんとパートナーのりょこちゃん、そして3人のかわいい子どもたちのことだ。
わたしは自らのことを「ジェネリックおばあちゃん」と名付け、池田くんが稽古や本番でワンオペが続くときは「ジェネリック義理の娘」であるりょこちゃんのお手伝いをしに池田家に通うようになった。
池田家に通うようになって、育児なんてしたことない「育児素人」でも自分の2本の手があらゆる瞬間に役に立つことがわかった。
おむつは替えられなくても、おむつ替えの瞬間に(なぜか)動き回りたがる赤子の足を押さえておくことはできる。
お風呂に入れられなくても、風呂上がりに(なぜか)着替えから逃げ回る赤子を捕まえることはできる。
それらのことをしているときに、さらに別の子どもに飲み物が欲しいと言われれば水をあげることもできるし、そのコップを倒しそうになる瞬間にキャッチすることもできる。
もう一本手があればいいのに。
育児をしていない人が、赤ちゃんや子どものお世話なんて何をしたらいいかわからないのは当たり前のことだ。でも、一つ一つの作業をさらに解体していった先に「手を貸す」が必ずある。手なら貸せるじゃん、そう思った人はぜひどんどん貸してみたらいいと思う。
育児中の方でそう思ったことのある人は多いだろう。
だからわたしは「手」を「貸す」。

子どもがいると、様々なことがスムーズにいかない。
トラブルとアクシデント続きだ。それがどれほどのものかというのは、わたしの想像を遥かに超えていた。
ある日のこと。りょこちゃんと一緒に、3人の子どもを児童館に連れて行った。
「暗くなってきたからもう帰ろうね〜。」そんな声かけも虚しく、何をどうやっても児童館の玄関から動かない子ども。
ああもう詰んだ、と思ったそのとき背負っていたリュックの底に食べていなかったくしゃくしゃに潰れたパンを発見した。
「ほーら、パンだよ〜〜!」
そう誘導してベビーカーに乗せて一目散に児童館を飛び出した。駅まで歩く道すがら「もっとパン食べたいよー」とせがむ子どもに、「ゆらこさんは道が暗くてパンが見えないんだーごめんね!」と言って誤魔化し続けた。
駅のホームで子どもたちに一口ずつパンをあげた後、あまりの空腹に耐えかねたわたしは「もうパン無くなっちゃったよ〜」と言ってこそこそしゃがんで食べた。
りょこちゃんは笑いながらそんなわたしの写真を撮っていた。
「奇跡のパンだ!」と言って二人で大笑いしたあの夜のことを、わたしは何度だって思い返して笑える。
一人だったら悲劇でも二人なら喜劇になる。
あの児童館の帰り道、もし一人だったらなかなかの悲劇が生まれていたんじゃないだろうか。
手を貸すだけで悲劇が喜劇になるなら、わたしはいくらだって手を貸したい。
そして、手を貸していたらいつの間にかおむつを替えられるようになったり、子から手を握って一緒に歩いてくれたりするようになる。
最高に幸せである。
公演情報
◆黒井ひとみ演劇部発表会vol.1『黒い劇』
作・演出:高野ゆらこ
出演:黒井ひとみ、高野ゆらこ
2026年5月30日(土)31日(日)
新宿2丁目 足湯 cafe&bar どん浴
*詳細は高野のXアカウント(https://x.com/yuracco)よりご確認ください

