兼業俳優が子育てをしながら演劇を続けて思う事など
俳優 中川智明
コラム

兼業俳優が子育てをしながら演劇を続けて思う事など(「私は演じなければならぬ」のか)

俳優 中川智明

目次

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俳優か父親か

小学生になった上の子が「俳優やりたい」と言い出しました。戸惑った私は、ちょっとまだ早いんじゃないの?というようなことを言った気がします。これは間違いでした。子供が何かをやりたいと言い出した際にはまず応援するべきでした。俳優としての自分の狭い料簡で子供の未来を狭めるべきではありませんでした。しかし娘は私のおせっかいなど意に介さず、自分のやりたい事を実現するために小学校で演劇クラブを創設し、自己流で何かしらのセリフを書き、みんなでレッスンなどしているようです。すごくないすかうちの娘。親バカですか、ええまあそうでしょうね、ええ。

趣味の演劇

「お前はそうやって趣味の演劇をやっていればいい」と友人に揶揄されたことがあります。私は20代で、ギャラのない舞台にばかり引っ張りだこで、貧乏と稽古とアルバイトと酒と貧乏と本番と貧乏に生活が満たされていた頃の話です。私は憤慨し「売れる為に演劇をするのかやりたいからやっているのか」というような不毛な言い争いをした記憶があります。その頃の私にとって演劇は『しなければならないもの』でした。いや、そう思わないと、そこまでアクセルを踏み込むことは出来なかったのかもしれません。貧乏と演劇に自分を賭けた先にしか人生の到達点はないと思い込んでいました。

その価値観は簡単に覆りました。良くある話です。彼女が出来て、結婚して、子供が出来た先にある人生を知ったのです。演劇しなくても人は生きていけるし子供は育ちます。いつのまにか我が家の子たちはみんな小学生になっていて、平均寿命から考えれば私は人生を折り返していました。

演劇はやらなくてもよい

身も蓋もないですが、子育てと演劇の両立は難しいです。本当に難しい。「なんで難しいのにやっているのか」と問われれば、それでもやりたいから。と答えるでしょう。では「やらなければならないの?」と問われたらどうだろう。「やめろ」と言われたら?

ある哲学者が小説家を目指した際、自分を励まし、そしてまた書く事を辞めさせた言葉として、リルケの『若き詩人への手紙・若き女性への手紙』の一節をあげていました。引用します。

『自らの内へおはいりなさい。あなたが書かずにいられない根拠を深くさぐって下さい。それがあなたの心の最も深い所に根を張っているかどうかをしらべてごらんなさい。もしもあなたが書くことを止められたら、死ななければならないかどうか、自分自身に告白して下さい。何よりもまず、あなたの夜の最もしずかな時刻に、自分自身に尋ねてごらんなさい、私は書かなければならないかと。深い答えを求めて自己の内へ内へと掘り下げてごらんなさい。そしてもしこの答えが肯定的であるならば、もしあなたが力強い単純な一語、「私は書かなければならぬ」をもって、あの真剣な問いに答えることができるならば、そのときはあなたの生涯をこの必然に従って打ちたてて下さい。』

いまだ俳優を名乗る私を許容してくれる妻と家族に。
いつも演劇に誘ってくれる先輩、ブラジリィー・アン・山田氏と、櫻井智也氏に。
またこのような私にオファーをくれるクライアントに感謝してこの文を終えたいと思います。

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