兼業俳優が子育てをしながら演劇を続けて思う事など(「私は演じなければならぬ」のか)
俳優 中川智明
目次
はじめに
演劇にはいろいろな職業の人が携わります。
公演の企画を立ち上げる人。制作、作家、演出家、参加する音響、照明、美術、道具、舞台監督、劇場スタッフ、出演者などなど。
私は俳優です。スタッフさんとは違って、俳優には【職業として成り立っている俳優】と【そうではない俳優】がいます。私は後者です。演劇以外に収入源を持たないと家族を養う事が出来ません。そのためこの文章は、職業として成立していない俳優が子供を育てつつ、演劇に携わる際に起こる事、思うあれこれなどが記されています。
演劇活動は精神的にも物理的にもコストを必要とします。同じように子育ては精神的物理的コストを要求します。演劇か家庭かという選択が過去にあり、家庭を選んだ人間がどちらを優先するかは論じるまでもありません。私にとっては家族と子供の生活が最優先です。
どうやら私はまだ演劇をやりたかった
私は10年ほど演劇から離れていました。結婚や出産や生活などに伴う諸々の事情が重なって、物理的に演劇に携わる時間がとれなくなったのでした。具体的に書くとラーメン屋をやっていました。人生にはいろいろな事が起こるものです。10年ほどラーメンを作り続けた私は、諸般あれこれの果てにラーメン屋を閉店し、もう関わる事はないだろうと思っていた演劇と再び交わる機会を得たのでした。
35歳から45歳になった私の精神はいつの間にかホコリをかぶり、感受性は鈍麻し、細かい文字は読みづらくなり、体重は増え、酒を飲まねば眠れなくなっていました。私にとって10歳年を取るとはそういう事でした。10年ぶりに舞台に出るからといって若返るわけもなく、私はそのまま舞台本番に臨み、重力と動かない体を感じながらしかし、それらを抱えたまま舞台に上がる面白さを体感できたのでした。今の自分以外自分はいない。今を肯定せざるを得ない。自分は今のそれでしかない。
年をとればとるほど俳優という仕事は面白くなるのではないかと感じています。
とはいえ、赤ちゃんとはできるだけ一緒に居た方が良い

日々育つ可愛い生き物と一緒に過ごす時間は、自分が親になったことを自覚する大切なプロセスです。赤ちゃんは驚くほどの速度で生活能力を獲得します。寝返り出来るようになったと思ったらあっという間に歩きます。喃語(あーうー)から「パパまたお酒飲んでるの?」まであっという間です。
一つの能力は獲得してしまうと元には戻りません。初めて歩いたその瞬間を見逃すと「もう一回」はないのです。我が家にはもう「ぱぱだいしゅき、ぎゅー」してくれる生き物はいなくなってしまいました。奇跡のような時間は得難い宝物として心に残るでしょう。そういう意味で子供が幼児期を過ぎるまで、舞台出演は控えた方が良い。ベネディクト・カンバーバッチでさえ「小さい子供が3人いる我が家では、今は演劇は難しい(意訳)」と育児休業をとったそうです。
