私たちはなぜ選択を強いられねばならないのか
俳優 徳留歌織
生きていく上でここが岐路だと思うことは意外と多くあります。
俳優業を始めて、今年で24年が経ちました。
今までがむしゃらに、自分の全人生をかけて俳優業に取り組んできましたが、そんな中で素敵な人と出会い、家族になり、39歳にして初めて子供が欲しいと思いました。仕事以外のことで何かを望むのはいつ振りなのか分からない程に仕事人間だった私の「妊娠を望む」という気持ちの変容は、自分でも意外なものでした。
そして現在絶賛妊活中です。
結婚して妊活を始めるにあたって、仕事関係の人からこんなことを言われました。
「女の人は子供を産むと変わるし、産休で仕事を休んでる間に芝居が下手になった人もいるから」
私はそれを聞いて腑が煮えくり返り、数ヶ月経った今も現在進行形で怒っています。
「そんなわけあるかい。何言ってんじゃボケ。お前は芝居が何たるかを全く分かってない」
次言われたらこう返してやろうと、たまに思い出しては一番怖い言い方を練習しています。
そして、なぜそんなことを言われなければならないのか、私はそれの何が嫌だったのかをずっと考えています。
子供を産む決断とセットで、他にも色々と理不尽だと思うことに直面しました。その度に、この決断は間違いではないのだからと思う反面、不安になるのも事実です。
妊活中のため一年先の仕事の予定は諦めねばいけない。2ヶ月先、3ヶ月先の状況も分からない。そんな中で未だ子宝に恵まれず、最近は生理がくると悲しい気持ちに襲われて、わんわんと泣く日もあります。
「こんなに頑張っているのに、こんなに色んなことを犠牲にしているのに、なんで?」
という気持ちが溢れ出てくるのです。
次第にその考えは、「女だから大変なんだ」「女である私の方が苦しい」という思いに変わっていき、私の未熟さから、愛する夫にその矛先を向けてしまうこともあります。好きな人と家族になれたから、子供が欲しいと思えたのに、まったくもって本末転倒です。
女である私には男の気持ちは分かりません。私が思うように男性も、子供を作る決断をした時に何か犠牲を払っていると感じることがあるのかもしれません。私はそのことを夫に聞いてみたことがあります。
「私は女であることにこんなに不都合を感じているのだけど、男であるあなたはどう?」
夫は大変優しい人ですが、話をしているうちに、どっちが大変か自慢になってきてしまい、私は失敗したなと思いました。
それぞれの立場で、それぞれの不都合を共有し合うことは大切なことですが、もっと大事なことは、分かって欲しいと不満をぶつけ合うのではなく、お互いにサポートできることを探していくことです。他者である2人が家族になる意味はそこにあり、立場の違うもの同士だからこそ、助け合うことができるし、その方が長く続くと思うのです。
私は私のできることをやろう。
そして、あなたが困ったときは助けよう。
私の困ったときは助けてもらおう。
そんな当たり前のことを忘れないようにしなければと、日々自分に言い聞かせています。
親になる前からこんなふうに人としての成長を強いられるのだから、妊活はなかなか良いものです。いや、こうやって良いものだと思えるところを無理矢理にでも見つけないとやってられないものです。それこそが人間修行だ。そして次から妊活中の人の役は出来る!と思えるのは、俳優という仕事の好きなところです。
でももうちょっと早く、出来てるか出来てないか分かればいいのに。できれば受精当日の夜か次の日くらいには分かりませんかね、神様。
話を戻します。俳優を長く続けていると、俳優仲間の色々な岐路を目の当たりにすることがあります。
子供ができてその幸せに満たされて俳優を辞めた人もいる。本当は復帰したいけど子供や妊活のために復帰を諦めている人もいる。そしてそれに憤りを感じている。同じく俳優であるパートナーを支えるために俳優を辞めた人もいる。また、家族を養っていかねばならないので俳優を辞めた人もいる。
俳優を辞めたり、休んだり、妊活を諦め、俳優を続けたりしている人たちは、男女問わず、それぞれにたくさんの岐路に立ち、毎回多くの選択をしてきた、もしくはせざるを得なかったのだと思います。
私はそんな人たちを見てきて、素晴らしいなと思うこともあれば、勿体無いと勝手に思うこともあります。そしてその度に、その選択以外を選ぶ機会がある世の中になればいいのにと強く思うのです。
現在妊活中の私も前述した通り、選択を強いられています。自分の決断に責任を持てるのは自分だけなので、非常に疲弊します。そんな中で、俳優業を諦めずに済む方法も模索中です。
その一つとして、『ファミリーサポート』という行政の取り組みがあることを知りました。ファミリーサポート、通称ファミサポは、自治体で運営している有償のボランティアで、自治体によってシステムはそれぞれ違いますが、大まかに言うと、子育てに奮闘している方をサポートしたい人が、自治体で行っている無料の研修を何日か受けて、協力会員として登録し、同じ自治体内に住む親御さんの子育てのお手伝いをするというものです。ファミサポは有償ですが最低賃金よりも安い金額を利用者の方から頂くのみで、あくまでもボランティアなので、スケジュールなどは当日であってもキャンセルすることができます。利用する方からしたら不便に感じることもあるかもしれませんが、全く足りていない協力会員の数を増やすためには致し方ないところだと思います。私はこういったサービスを提供する側として、今は、将来自分が子供を持った時に、周りにどのように支援してもらい、子育てと仕事をどのように両立していくかをシミュレーションしている最中です。
ファミサポの研修の中で児童相談所の職員の方のお話を聞く機会がありました。その方は「子供を虐待してしまう人は責任感が強い方が多く、自分でなんとかしなくてはならない。人に頼ってはいけないと思っていて、自分が限界なのにも関わらず、支援を受けることを拒否し、虐待という結果を産んでしまうことがある」と仰っていました。なんて悲しいことでしょうか。社会の中で生きていく以上、誰もが誰かの力を借りています。それは恥ずかしいことでもなんでもなく、自分もまた誰かの役に立てば良くて、そうやって社会が形成されているのです。
私は自分の将来のためにファミサポのボランティアを始め、子育てに関する情報収集をしてきましたが、今後はそれらの情報を、必要だと思われる仲間にシェアしていきたいと思っています。そして、まずは自分のいる業界からシステムを変えていきたいです。誰しもが、子供を持つという素晴らしい選択の中に、不必要な不安を持たずに済むように。何かを諦めなくても子育てができるように。それは不可能なことではないはずです。
今、子育てをしているあなたが、もしも社会から取り残されたような寂しい思いをしたり、辛さを感じたり、自分が不甲斐ない、周りに申し訳ないなどと思っているとしたら、あなたは一切悪くありません。共働きの核家族という現代の家族観に追いついていない社会のシステムが悪いのです。
みんなの意識が変わり、アイディアを出し合えば、必ず社会は変わります。私は変えていきたい。例え自分は子供を持てなかったとしても。
『プラットフォームデザイン lab 』さんは、「舞台芸術と子育てを両方する上で、本当に必要な支援は何か」というテーマで活動なさっている団体でまさに私が求めていたものです。今後も活動をチェックしつつ、この輪が広がっていくことを心から願っています。
みんなが自分の人生において納得のいく選択ができますように。
まずは自分の人生から試してみたいと思います。
