あの頃、最高の演出家だったあかちゃんと。ー演劇と子育てが混ざり合った先にー
BEBERICA theatre company代表、演出家/弓井 茉那
あかちゃんとシアターが繋がった
私が「観劇サポーター」と呼ぶ存在は、これまである役職でいうと当日運営の制作スタッフに近い。観客の案内、ケアを行う。だがしかしベイビーシアターにおいては、あかちゃんの安全管理も含まれて、更に保護者のケアも必要になる。例えば公演中にあかちゃんが泣いたとする。泣くことそのものは構わないのだが、それが何か生理的な不快からくるものであればなるべく取り除いてあげたいと思う。その時にあかちゃんの様子をつぶさに観察し、それが解決策になりそうなら「立って抱っこしながら観ていただいてもいいですよ」などと保護者の方にお声掛けする。またある場面では、あかちゃんが舞台美術の一部にとても惹かれて、今保護者の方と座っている場所を離れてその美術に触りに行きたいとする。その場合には、サポーターがあかちゃんと一緒に触りに行くことを提案することもあれば、保護者の方に移動して触ってきても良いですよと促したりもする。そのようにあかちゃんと保護者に心地よく楽しく観劇してもらえるようにサポートする役職である。その専門性はあかちゃんと大人のサポートのみならず「あかちゃんとシアターを繋ぐ」というところが要求される訳だ。では、一体それはどういう状態なのだろうか。
ここで話は、冒頭のプロダクションに戻る。
ゲネプロでは関係者のお子さんに来てもらっていて、その中には出演俳優のお子さんもいた。彼はその時11ヶ月で、お父さんと来ていたのだが、舞台上のお母さんを見て、お母さんの傍に行きたがった(当然の話である)。しかし舞台が階段状になっており危ないしダンスの進行の妨げになることを気にして、お父さんがあかちゃんを必死に止めていた。あかちゃんは泣き出してしまった。そしてそれに気づきながらもお母さんである俳優は必死にダンスを続けていた。演出家でありつつ観劇サポーターとしてその場にいた私は、どうしたらこの場の全員が心地よく、かつシアターが成立するのか考えていた。そこで、思い切った選択をとることにした。お父さんに耳打ちして同意をとった上で(そしてあかちゃんにもアイコンタクトで同意をもらい)、あかちゃんを抱っこして舞台に上がり、お母さんの真横に腰掛け、まるで私もあかちゃんも出演者であるというふうにその場にいようとしてみた。教わった抱っこの仕方を思い出し、お母さんである俳優の呼吸に合わせて呼吸する。お母さん俳優とまるで一緒に踊っているようなつもりであかちゃんを抱っこして舞台上にいようとしてみた。すると不思議なことにあかちゃんは落ち着いて、その場にいることができた。
その後、演技は次の展開に移ったが、あかちゃんはすっかり何か満たされてお父さんの膝の上に戻って鑑賞を続けることができた。
今思い出してもあれは不思議でドラマティックな体験だったなぁと思う。あかちゃんにとっては自分の母が出演している・・・ベイビーシアターでないと起こり得ない特殊な状況だったかもしれないが、あの時確かにあかちゃんは舞台上にいる母と、演劇的に繋がった。そして、母である踊る俳優と、あかちゃんの存在とそれを繋ぐ観劇サポーターの存在、それら全てが有機的に働き、確かに「シアターになった」。
その時以降、「観劇サポーター」は私たちのベイビーシアターに欠かせない存在になり、サポーターの皆さんに支えられて上演している。
創作の現場であかちゃんと共にあろうとした小さな試みが、あかちゃんと共につくり出そうとする表現への入り口を開いたお話をしてきたが、あのあと、子どもたちはどんどん大きくなって、あの時のあかちゃんたちはもう小学生になり、創作現場にいてもらうことが難しい局面に入った。だからこそ、創作現場に我が子がいたあの状況、共に何かを見い出したあの時間は特別な時間だったのだと改めて思う。しかも自分の子育ての初期の体験としてそれがあったのだ。贅沢だった。
私はこれから歳を重ねて、あの時以上の発見ができるのだろうか。わからない。だけれども、きっと今日もまたどこかで生まれるあかちゃんたちが私たちをきっと遠くに連れて行ってくれるのだろう。そんな気がする。

