あっという間の中で
石崎竜史/脚本家・演出家・俳優
コラム

あっという間の中で

石崎竜史/脚本家・演出家・俳優

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 「子どもが生まれるんです」と諸先輩方に報告した時に、「あっという間だよ」と口々にアドバイスを頂いたことが、今でも忘れられない。

 「俺は!演劇で売れる!」と息巻き、やみくもに演劇をやっていた20代、30代前半こそ、私にとってはあっという間だった。思うような結果が出ず、結果が出ないからこそ時間を費やし、「こんなにも時間があるのに」と憤りながら、いつも時間がなかった。

 35歳で子どもを授かってからは、いよいよ時間がなくなり、フルタイムでバイトするだけでも、家族と過ごす時間が十分じゃないのに、そこからさらに演劇に費やす時間を見つけることはもはや不可能に思えた。

 「もう演劇はできないのかも。」

 私が甲状腺機能亢進症という病気を患ったのは、そんな風に思い始めた矢先のことだった。

 「常に50m走をしているような体の状態」と説明を受けた当時の私は、体重減少、関節痛、動悸などに悩まされ、些細なことにイライラしやすくなっていた。抱っこさえままならない自分の体にイライラが止まらず、みじめな気持ちが毎日私を通り抜けた。

 バイト先で育休を取得したのは、病気の発覚から少し経った夏のことだ。バイトでも条件を満たせば育休を取れるけど、まわりの演劇パパの口から「育休」という言葉を聞いた覚えはほとんどなく、何もかも手探りで育休を取得した。

 育休期間に入った私は、まず妻とともに子どもと同じサイクルで生活を送った。毎日なるべく同じ時間に起き、食事をし、昼寝をし、スーパーに行き、風呂に入って、就寝した。

 毎日が同じことのくり返し。かつての自分なら、あるいはそう思ったかもしれない。

 ところが不思議なことに私は、同じサイクルをくり返しながらも、自分の中の時計の針の進みが、少しずつゆるやかになっていく感覚を抱いた。

 それは、子どもが一日一日、今を生きて、毎日何かしらの成長を見せてくれるからだった。新しい遊び方を覚え、新しい食材に挑み、新しいものごとに興味を示し、彼女は毎日、人間の可能性を私に教えてくれた。育児記録アプリに何かを打ち込むたびに自身の人間らしさを取り戻す感触があったし、健康も少しずつ回復した。

 子どもの成長に置いていかれたように感じて、自分を責めるんじゃないか?というネガティブすぎる懸念もしていたけど、それはすぐに晴れた。

 子どもが喃語(なんご)で何かを訴える時、自分もジブリッシュを使うことで、コミュニケーションを「取れた!」と感じることが多々あった。コンタクトインプロや殺陣で学んだ身体的なリスクヘッジが、子どもと取っ組み合う時に役に立ったし、何かに導こうとする時は演出家としての自分に幾度となく思いを馳せた。

 演劇だけの時間がなくなっても私は、演劇とつながっていた。そして演劇は子育てと、もっと言えば「日常」とつながっていた。

 もちろん育休は、あっという間に終わった。でもそのあっという間は、後悔に満ちたものではなく、子どもといっしょに今を生き続けた証のような、キラリ輝くあっという間だった。何より育休期間は、私の人生で紛れもなく一番楽しい時間だった。

 思えば以前の私は、常に過去を憂いていた気がする。過去にばかり目を向け、今その瞬間から目を逸らし、今を掴みそこね続けていた。

 それでも今は、たとえば「昔の自分はあんなに動けたのに」なんて、もうほとんど思わない。健康がクリエイティブに及ぼす絶大な効能を身をもって知ったし、「今時間ができたら、いよいよ凄いクリエイターになっちゃうんじゃない!?」などといった、自分の中のポジティブな自分の出現に困惑さえしている。

 今私はこのコラムを、バイトの行き帰りの満員電車の中でしたためている。以前は「移動時間しかない」と思っていたはずが、「移動時間がある」と思えるようになった。

 子どもは今や2歳に近づき、抱っこをせがむことができる。娘を抱える私の関節は次第に痛まなくなり、小さな体のあたたかさを喜べるようになった。劇場に足を運ぶことは減ったけど、子どもが夢中になっている『崖の上のポニョ』と『アンパンマン』を毎日観ている。同じ作品をくり返し観ることで、作品を捉える深度が上がっている気がしてならない。

 子育ては、生活は、そしておそらく人生は、誰にとってもあっという間の連続だ。私たちにできることは、そのあっという間にまっすぐ目を向け、その愛おしさを喜ぶこと。それだけなのかもしれない。

 今私は、いわゆる演劇活動をほとんどしていない。それでも私はあの頃よりずっと演劇をしているし、演劇が楽しい。私が思う「あっという間」を、誰かに作品として届けたいと、自分のペースで意気込んでいる。

 この瞬間にしか生まれない演劇を、私は、私たちは、きっと作れる。子どもは私に、そう教えてくれている。

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