今、私がなにがしんどいのかの話
照明家 小林愛子
コラム

今、私がなにがしんどいかの話

照明家 小林愛子

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もちろん仕事側だけじゃなく

仕事がなければ
娘のメンタルが荒れることもないし
たくさんお話ししたいし
宿題をちゃんと見てあげたいし
一緒に「お絵描きしよ」とか、「工作しよ」、にも付き合ってあげたいし
寝る前に絵本をゆっくり読んであげたいし
家事もちゃんとやって、部屋の中を健やかに保ちたい。

それができない。

私が仕事している傍ら見ているyoutubeの時間を、
私が一緒に遊んであげることで減らしてあげたいって
いつだって思ってるのよ。

私が2人いたらいいけど、私は2人いないから
なんとかなるようにたくさんの準備をするけど、
でもやっぱり私が2人欲しい。

仕事は信頼できるオペレーターをつけている。
家庭は夫もいる。
私にしかできないことをできるだけ減らす努力もしている。

でも本当は私がやった方がよいこと(特に仕事)や、
私がやった方が慣れていてスムーズなこと(特に家庭)を
私の判断で人に任せる。

ということを自分で決断するというのが地味に、でも、ものすごく辛い。

お願いし続けるのが辛い。
誰かに迷惑をかけ続けていると思ってしまうのが辛い。
娘が悲しんでいるのが辛い。
それが私の決断の結果、という事実がしんどい。

すごい大変な現場をオペレーターに任せている中、
私は家でゆっくり娘とお絵描きをしている時に、罪悪感に苛まれたりする。

少し話は変わってしまうが

今でこそ少し時代は変わってきているが、
舞台の仕事は本番中であれば親の死に目にも会えない仕事だって思って働いてきたし、はっきりそう言われたこともある。
なのに、今の私は子どもの発熱で当然のように現場を放り投げて家に帰る。
この自己矛盾に、
今までの自分を作り上げてきた価値観を自ら破壊しなきゃいけないことに、
頭の中がバグる。

いろいろなことを無理すればできる。
でもその無理の代償を被るのが娘や夫やオペレーターや現場のだれかになる。

そして、その仕事を受けるか私が決めることができる。

受けるかどうか決められるなんて、恵まれた立場だと思う。

受ければ誰かに無理が出る。
受けなければ。

受けなければ、どうなるだろうか。

徐々に自分のプランの仕事が減っていくのだと思う。
次回、次々回の声がかからなくなっていく。
そして、ずっと積み上げていたものがなくなっていくのだ。

そんなにものすごい実績があるわけじゃないけど、
ちゃんと自分なりに努力して、
やってきたものがあるのだ。

そもそもプランの仕事はやり続けなければできなくなる気がする。

自分の感性が鈍化する気がする。
その作品やシーンの”勘どころ”を掴むのが下手になる気がする。
機材の進歩についていけなくなる気がする。
卓なんて触れば触るだけ打つのが早くなると思う。

プランだけじゃなくて

そもそも現場にでていないと、現場勘が鈍る。
効率的な動きや即時の判断の精度が落ちてきている気がするし、
経験値の蓄積も止まる。
少なくなったとはいえ多少現場にはでていても
自分が”ぼんくら”になってしまった感をひしひし感じるのに
これ以上現場に出なくなってしまったら、現場が怖くなってしまう気すらする。

産前産後含めて半年以上プランをしていないということはないので、1年単位で現場から離れたらどうなるのか本当のところはわからない。
実際は、自転車の乗り方を忘れないように、もう身についてはいると思うけど、やめたらどうなるかわからなすぎて怖い。

どちらを選んでも。
真綿で首を絞められるような。

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