現場を離れた今思うこと
パート/主婦 松本ゆい
コラム

現場を離れた今思うこと

パート/主婦 松本ゆい

目次

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今の生活について

舞台の現場から離れて4年がたちました。

その間二人目が生まれたのですが、その長女がとにかくよく病気にかかります。

2歳になったばかりの彼女は、ミルク/乳製品アレルギー・アトピー性皮膚炎・喘息と、あらゆるアレルギー疾患があり、毎月の定期受診が外せない上に、クループや低血糖などで入院を繰り返しています。

あと食物アレルギーの負荷テストでも入院をするので、最近ではずいぶん入院慣れしてきました。

今現在私は福利厚生が手厚い会社でパートとして働いているので、保育園からの突然の呼び出しや、子の病気による当日の欠勤、入院による突然の長期欠勤などにも柔軟に対応してもらっています。

聞けば同僚の中には介護のために私以上に欠勤している方もいるらしく、そういった家庭の事情に寄り添ってくれる会社を思うと、会社のために働く意欲が高まります。

舞台の現場から離れて4年。

長女を授かったのをきっかけに、小さな団地に引っ越したのですが、敷地内にうち専用の畑をもらえたので、今はアスパラガスと茎ブロッコリーとトマトを育てています。

すごい適当に育てているので、茎ブロッコリーの葉は信じられないくらい青虫に食われ、まわりではモンシロチョウがひらひら舞い、アスパラは収穫のタイミングがわからず木みたいに成長し枝葉をのばし、この先どうしたら良いのか、野菜を育てるって簡単なことではないなと実感しています。

毎朝フェイスパックをしながら床掃除することを日課とし、働いて、子どもと一緒に帰り、夕方になれば洗濯を取り込み、夜は子どもが寝たらこっそりアイスを食べてストレッチをする。毎日同じように過ごしています。

舞台が日常にあった頃と今に至る経緯

私は15歳の頃から地域劇団に入り、俳優活動を始めました。その後もずっと俳優を続けていましたが、27歳のときにスタッフへ転職。まずは演出助手から入り、その後は舞台美術の工房で美術を学び、同時に演出部でも働き、とにかく声がかかれば職種を問わずなんでもやりました。

現場をしていた時は、毎回違う団体と関わり、そんな中で縁ができた団体と新作をつくることに喜びを感じ、毎日が刺激にあふれていました。

もともと物語が好きで、ドラマも映画も舞台も小説も美術展も、好きなものがたくさんあり、その好きが仕事につながっていることに幸せを感じていました。

32歳で結婚したとき、まわりに子どもを育てながら現場をやっているスタッフの方がいたことから、現場と子育てを両方やりたいと強く思うようになりました。

子育てと仕事を両方続ける方法について色々想像しましたが、そもそも子どもができるかどうかわからないし、または子が健康かどうかもわからない状況で想像するのは難しく、とにかく授かったらその時考えよう、ということで妊活を始めました。

34歳で1人目を妊娠し、その後もできる現場だけは続けていましたが、1人目が産まれると今度は2人目が欲しいという気持ちが強くなり、そうなると現場復帰への積極性が持てなくなり、だんだんと仕事が無くなり、1人目が3歳になる頃には舞台の仕事は完全に無くなり、近所でのパート1本になりました。 2人目が産まれた今は、もう自分から復帰をするための努力は全くしなくなりました。

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