バランスって一体なんでしょう

 主に演劇、ダンス、ミュージカルの舞台音響家、大学の講師。ときどきダンスや演劇のワークショップファシリテーター、振付、ダンスの作品づくり。ごくごくたまに自分で踊ったりしています。

フォトグラファー/ダンサーの妻と息子の3人家族というチームです。

「子育て」と「舞台芸術」、その関係を意識した出来事、今感じていることなど、つらつらと書かせていただきます。

 今から約10年とちょっと前、当時スタッフとして関わっていたダンスカンパニーは、出演者の半数以上が子どもを育てながら活動していて、稽古場にも必ず子どもを連れてきていました。そこにいる全員が子どもたちそれぞれを尊重しながらも、創作や稽古に向き合っている様を見て、このような場の形があるんだなと内心とても驚いた記憶があります。

 そのときの自分は、子どものワークショップやアウトリーチの機会が増えてきており、子どもとの取組に興味関心が向いていたのですが、普段の活動と子ども向けの活動というものをどこかで区別して捉えていました。もちろんアウトプットの形として、どこに矢印を向けるかの違いはありますが、基盤となる創作の現場=稽古場に生活と創作が入り混じっているかたちを目の当たりにして、じゃあ今まで自分が考えたり常識と思っていたことはなんだったのだろう?という疑問がはじめて生まれてきたのでした。

仕事場に子どもを連れてくること、それによって、創作の現場にも大人と子どもの関係性にも変化が起こること。創作と生活を切り分けて考え、このままずっと活動していくんだろうなと思っていた当時の自分が、それからの生き方を考えていくきっかけだったと今あらためて思います。

 時がたって、自分の創作活動のペースはセーブしつつ、主にスタッフとして舞台の仕事に従事するようになった現在。もっともっと現場に気軽に連れてこられる環境になればいいのに、と思う反面、それがたくさんの人の負担になることも十分に理解しており。そして何より子ども本人の体力的・心理的負担を考えると、何が一番最適か?を常々考えています。

音響という職種の特性上、長く稽古場や劇場にいることが多いので、いま動いている現場の創作体制に、子どもを連れて行くことを当てはめていくことは、どうしても無理があります。自分が全てを企画するようなものや、旧知のカンパニーであればまだ気軽に相談できるのですが、そのような現場ばかりではなく、まして地方公演でツアーに出るようなものだとどうしても一定期間家を空けざるをえず。

いや、きっとやりくりしていけばどうにかなるのだろうと思うのですが、前述のとおり、自分が子どもだったら、常に親の仕事に連れられている毎日をどう思うか?を同時に考えてしまうのです。

 現状まだ答えは出ておらず、そのときそのときで、仕事と子どもの学校とのバランスをどうにか見つけて(場合によっては実家や親戚や近所の友達に頼りまくり)綱渡りのようにシフトを組んでいる日々で、誰か一人でも風邪をひこうものならあっけなく崩壊する人手不足のバイト先さながらシフトを組んで回しております。

こうして仕事ができているだけで、私は非常に恵まれた環境にいるのかもしれません。

「バランス」と書きましたが、その実、私と妻のそれぞれの仕事と家事育児の負担は、どうしても不均衡です。一定期間現場にいないと成立しない、オペレーターのような公演のランニングスタッフと、稽古やゲネを撮影する写真の仕事では、それに応じて時間的な制限も猶予も変わってきてしまいます。特殊なケースかもしれませんが、舞台に関わる様々な領域の仕事の人間がそれぞれのタイムラインで動いたときに、一番皺寄せを食うのがどのポジションなのか、そしてその人の生活や家庭にどういう影響を与えるのか。

お前たちの考えるバランスは本当にバランスがとれているのか???特定の誰かに負担を強いることで成立していないか???

どのようなプロダクションでも、そこに関わる人の生活や環境を想像して、一緒につくりあえる関係性のなかで創作ができたらいい、と思っています。小さいところからコツコツと。

 ここ数年でもめまぐるしく自分たちの環境も周囲の環境も変わってきています。家の引っ越し、小学校生活、体の変調、などなど。。。日々に流され、生きて行くだけで精一杯の毎日ですが、ことあるごとに今自分が置かれている足元を見つめて、現状維持せず未来に向かって改善・進歩していきたいと思います。

あっという間の中で

 「子どもが生まれるんです」と諸先輩方に報告した時に、「あっという間だよ」と口々にアドバイスを頂いたことが、今でも忘れられない。

 「俺は!演劇で売れる!」と息巻き、やみくもに演劇をやっていた20代、30代前半こそ、私にとってはあっという間だった。思うような結果が出ず、結果が出ないからこそ時間を費やし、「こんなにも時間があるのに」と憤りながら、いつも時間がなかった。

 35歳で子どもを授かってからは、いよいよ時間がなくなり、フルタイムでバイトするだけでも、家族と過ごす時間が十分じゃないのに、そこからさらに演劇に費やす時間を見つけることはもはや不可能に思えた。

 「もう演劇はできないのかも。」

 私が甲状腺機能亢進症という病気を患ったのは、そんな風に思い始めた矢先のことだった。

 「常に50m走をしているような体の状態」と説明を受けた当時の私は、体重減少、関節痛、動悸などに悩まされ、些細なことにイライラしやすくなっていた。抱っこさえままならない自分の体にイライラが止まらず、みじめな気持ちが毎日私を通り抜けた。

 バイト先で育休を取得したのは、病気の発覚から少し経った夏のことだ。バイトでも条件を満たせば育休を取れるけど、まわりの演劇パパの口から「育休」という言葉を聞いた覚えはほとんどなく、何もかも手探りで育休を取得した。

 育休期間に入った私は、まず妻とともに子どもと同じサイクルで生活を送った。毎日なるべく同じ時間に起き、食事をし、昼寝をし、スーパーに行き、風呂に入って、就寝した。

 毎日が同じことのくり返し。かつての自分なら、あるいはそう思ったかもしれない。

 ところが不思議なことに私は、同じサイクルをくり返しながらも、自分の中の時計の針の進みが、少しずつゆるやかになっていく感覚を抱いた。

 それは、子どもが一日一日、今を生きて、毎日何かしらの成長を見せてくれるからだった。新しい遊び方を覚え、新しい食材に挑み、新しいものごとに興味を示し、彼女は毎日、人間の可能性を私に教えてくれた。育児記録アプリに何かを打ち込むたびに自身の人間らしさを取り戻す感触があったし、健康も少しずつ回復した。

 子どもの成長に置いていかれたように感じて、自分を責めるんじゃないか?というネガティブすぎる懸念もしていたけど、それはすぐに晴れた。

 子どもが喃語(なんご)で何かを訴える時、自分もジブリッシュを使うことで、コミュニケーションを「取れた!」と感じることが多々あった。コンタクトインプロや殺陣で学んだ身体的なリスクヘッジが、子どもと取っ組み合う時に役に立ったし、何かに導こうとする時は演出家としての自分に幾度となく思いを馳せた。

 演劇だけの時間がなくなっても私は、演劇とつながっていた。そして演劇は子育てと、もっと言えば「日常」とつながっていた。

 もちろん育休は、あっという間に終わった。でもそのあっという間は、後悔に満ちたものではなく、子どもといっしょに今を生き続けた証のような、キラリ輝くあっという間だった。何より育休期間は、私の人生で紛れもなく一番楽しい時間だった。

 思えば以前の私は、常に過去を憂いていた気がする。過去にばかり目を向け、今その瞬間から目を逸らし、今を掴みそこね続けていた。

 それでも今は、たとえば「昔の自分はあんなに動けたのに」なんて、もうほとんど思わない。健康がクリエイティブに及ぼす絶大な効能を身をもって知ったし、「今時間ができたら、いよいよ凄いクリエイターになっちゃうんじゃない!?」などといった、自分の中のポジティブな自分の出現に困惑さえしている。

 今私はこのコラムを、バイトの行き帰りの満員電車の中でしたためている。以前は「移動時間しかない」と思っていたはずが、「移動時間がある」と思えるようになった。

 子どもは今や2歳に近づき、抱っこをせがむことができる。娘を抱える私の関節は次第に痛まなくなり、小さな体のあたたかさを喜べるようになった。劇場に足を運ぶことは減ったけど、子どもが夢中になっている『崖の上のポニョ』と『アンパンマン』を毎日観ている。同じ作品をくり返し観ることで、作品を捉える深度が上がっている気がしてならない。

 子育ては、生活は、そしておそらく人生は、誰にとってもあっという間の連続だ。私たちにできることは、そのあっという間にまっすぐ目を向け、その愛おしさを喜ぶこと。それだけなのかもしれない。

 今私は、いわゆる演劇活動をほとんどしていない。それでも私はあの頃よりずっと演劇をしているし、演劇が楽しい。私が思う「あっという間」を、誰かに作品として届けたいと、自分のペースで意気込んでいる。

 この瞬間にしか生まれない演劇を、私は、私たちは、きっと作れる。子どもは私に、そう教えてくれている。