踊る場を、ともに

こんにちは、永井美里です。ダンサー・講師・コーディネーターなどをしています。現在42歳、自然に近い場所で暮らしたいと、3年ほど前に東京から千葉の外房エリアに引越し、2歳のダウン症の息子を育てています。

夫とは20代のころからAAPAというグループで舞台公演、スタジオの運営、クラスやワークショップなどの活動をともにしてきました。長いこと仕事もプライベートも一緒くたになるような生活でしたが、出産をきっかけに、「仕事」と「活動」と「生活」と整理し、東京でのスタジオクラスの仕事は夫に任せて自分は離れ、千葉で子育てを中心とした暮らしに変えました。

踊ることと、子育て

ダンスを中心に生活していた自分は、30代半ばに近づいたあたりから、こどもを育ててみたい気持ちと、こどもを持たずにダンス活動を続けたい気持ちが、複雑に混在するようになりました。しかし、海外のコンタクト・インプロ・フェスティバルで子連れの講師と出会ったり、こどもと大人が踊る姿を目にしたりするなかで、「踊りか、子育てか」二者択一ではなく、「こどもを育てながら踊り続けること」を具体的に想像できるようになりました。そして、そこから新たに広がる可能性にワクワクする自分がいました。

こどもといる場、ちいさな試みから

こどもが生まれてから、こどもと一緒にいられる踊りの場をつくっていきたいと、ちいさな試みを重ねています。コロナ禍を機に始めたオンラインクラスは、産前1ヶ月前まで続け、産後3ヶ月から再開しました。最初は夫や母親にこどもを見てもらえる日に実施していましたが、参加者の方にも了承いただき、こどもと一緒にいるなかでクラスをするようになりました。時にこどもも一緒に動いたり、必要なときは抱っこしたり、私自身も新たな実践を試しながら、今も続けています。

また、自宅から電車で40分ほどの場所で行っている「CIいすみ」では、夫と一緒にこどもを連れて行き、ワークショップ講師をしたり、参加したりしています。大人を対象にした場ですが、自分の妊娠中に地域の人と共同で始めたので、自分達のこどもがともにいることを自然と受け止めてもらえていて、こどもの存在も一つの創造性として場にあることが、とても心地よいと感じています。ちいさなコミュニティでも、こうした場があることが、自分にとってとても大切になっています。

出産が、これまでの自分との断絶を感じるものになっていたら、孤独や不安を感じていたかもしれません。「仕事」として成立しなくても、無理なく、自分も安心していられる人達と、ちいさな試みを続けてみること。それは、妊娠・出産という大きな変化のなかで、自分を支えてくれました。

こどもとおとなの「ななめの関係」

2025年6月に、3人で長野と山梨に10日ほどの旅をして、先々でワークショップをさせてもらいました。上田市では親子で参加できる「~触れる、つながる、踊る~ ちいさなこどもと大人のオープンスペース」をひらきました。このときに大事にしたかったのは「こどものための場」ではなくて、「大人が動ける場」にすることと、「親子ワークショップ」ではなくて、こどものいない人も参加できる場にするということでした。それは私自身の経験から、こどもがいる人もいない人も、大人とこどもが「親子」という関係に限らず「ななめの関係」で出会える場から生まれる可能性に興味があったからです。

当日の参加者からは、普段はしないようなからだの動きや、こどもたちとの関わりあいがあって楽しかった、癒されたという感想のほか、こどもがいることで解放しやすかった、大人だけの場だったらこんなにすぐに自分をひらくことはできなかったかも、という言葉が印象に残っています。

創作・公演について

こどもが1歳になる昨年、自分が振付・出演する公演『はなす』をAAPAで企画しました。夜のリハーサルや公演はしない、各出演者のソロダンスを軸に構成するなど、創作手法やスケジュールを見直し、公演会場でのリハーサルや本番期間中にはシッターさんにお願いして実施しました。しかし、その後も同じ形を継続するのは心身ともに疲労が大きいと感じ、疑問が残りました。そのため今年は、12月に行うAAPAの企画に向けて「疲労と回復」をテーマに対話を重ね、こどもと暮らすなかでの変化を言葉とダンスにすることに取り組んでいます。

昨年の『はなす』の創作ノートには、『踊ることは、人生のなかで「やめる/諦める」ものではなくて、いつも寄り添いあえるものであってほしい』と書いていました。その意味をあらためて考えたとき、これまでと同じ公演という形にもどるのではなく、創ることや踊ることを暮らしながらともに楽しむ方法を新たに見つけることが、今の自分が目指す「回復」なのだと思います。


12月のパフォーマンスに向け、こどもとともに稽古場に。

壁としての託児を超えて

宝宝で実施した『みどりの栞、挟んでおく』は、ゲイであることを公表して俳優活動をしている団体主宰の長井健一(以下、長井)が、俳優仲間であり、現在シングルマザーとして双子の育児と仕事に勤しむ大島萌さんの

「また演劇に関わりたい」という気持ちに向き合うことを前提に立ち上げられた企画だ。

私は本作の企画の立ち上げを行う中で「舞台芸術と育児」にはじめて向き合うことになった。

企画打ち合わせの際、長井は大島さんと自分の友人関係や子どもを持つことについての自らの考えに加えてパートナーとの思想的な折り合いのつかなさを語りつつ、「違う立場でも共にあろうとすることを諦めたくない。

非当事者として当事者が抱える問題に向きあいたい」という思いを示した。

話を聞いた時、私は「自分という主語を抱えたまま非当事者として向き合う姿勢」を企画のコアにしたいと考えた。

非当事者が当事者問題を描くとき、当事者が抱える固有の問題が、非当事者にとって共感性が高い普遍的な問題に置き換えられてしまうことがある。

壁の向こうにいる存在のディテールは曖昧だ。だからあてはめやすい形に加工して、「こいつらはこうだ」と語る。

自分と同質性のある事柄のみ抽出し、他を透明化する。

そうなれば作品はSNSで見るストローマン論法と変わらないレベルにまで堕落する。

理解とは程遠い悪魔化あるいは聖人化によって伝達力は増すけれど、当事者の実像は消える。

ゲイという主語を抱えた長井が育児当事者に関わる企画、双方に共通する生き苦しさがある一方、利益はときに相反し強く共感できない問題が存在すること、それでもなお共にいたいと思う友人同士の関係が描かれる作品の上演は、同質性の壁の中で、自分たちの問題のみを殊更に取り上げる傾向が強まる今の世界に必要なものだと思った。

企画実施にあたっては合理的配慮に基づきつつ、大島さんをはじめとした育児当事者にヒヤリングを行ったうえで、育児当事者(大島さんに限らず、観客も含めて)が罪悪感を少しでも抱かずにすむような施策をチームで考え実施した。

座組内では、関係者の子どもの面倒が見られるように稽古開始前に子どもとの関係値を築くことや、俳優・スタッフにオファー段階で公演コンセプトを説明し、劇場で子どもと過ごすことに同意してもらい、積極的に関わってもらうことを心がけた。

観客への施策としては安全性の高い外部事業者への託児の委託と、観客自らが知人や施設に託児をお願いすることを「セルフ託児」と定義し、その行為に対して割引を行う「セルフ託児ありがと割」の設置、赤ちゃんと見られる回を用意することで、育児の段階や子どもの調子などによっても変わる育児世帯の状況に可能な限り対応できるように努めた。託児施策の利用率はまちまちだったが、意義ある試みだったと思う。
などとここまで偉そうに語ってはみたが、私は自分と現在直接関係しない「育児」にあまり向き合いたいと思っていなかった。可能ならずっと見ないふりをしていたいと思っていた。それこそ「座組は育児世帯いない人で揃えて……

託児施策はまあとりあえず「マザーズ」呼んでおけばいいんでしょ?」というような理解度だ。

関わりたくないが、問題を無視することの体面の悪さから「やってる感」を出す言い訳として託児サービスを設ける。 

その程度の人間に託児サービスとそれを用いようと考える人たちの実態を掴めるわけがない。

託児サービスの年齢制限、申請期間の悩み、子どもを対象とする公演における音量や光量のレベル感の問題、そういった悩みも「育児」をテーマにし、公演単位で向き合うことでようやく知ったくらいだ。
きっと私は、本来壁を取り下げるものであるはずの「託児サービス」を育児世帯への壁として利用することで社会的に正しいポジションを取りつつ、無意識に育児当事者を自分から遠ざけていたのだと思う。

自分の実感に則したものに引き寄せれば生活保護における水際作戦と同様のやり口だ。非難してきたはずのものを少し立ち位置が変われば平然と他者にやってしまう。本当に愚かだと思う。

育児から遠く離れた同質性の集団の中で凝り固まった醜悪な自分の姿を公演準備の中で何度も発見し、その度に嫌気がさした。

けれどここで感じる居心地の悪さこそ、自分とは異なる他者の当事者性に非当事者として向き合うことそのものなんだろう。

ここまで露悪さや自虐を交えて自分という存在が「育児」という問題から離れた人間であると記してきたのは、私のような育児の当事者から距離のある人間にとっても「舞台芸術で他者の育児に向き合う」ことに価値があると思うからだ。

事実に即したメリットの話をしよう。

まず話題性。私たちが上述の公演コンセプトや託児施策を発表した後、公演経験はわずか一回の団体宛にインタビューのオファーがきた。

育児へのコミットの公言は広報面で有効だったに留まらず、非当事者のメンバーが「子育てと舞台芸術」に関するコラム執筆をオファーされるほど影響力があった。

次に集客。ありがたいことに『みどりの栞、挟んでおく』は初日の2週間前には全席が完売し(券売が一気に伸びたのは上述のインタビューの直後だった)、その後も増席を行うたび瞬く間に券が捌けた。もちろん魅力ある俳優を揃え、実力・注目度ともに申し分ない作家にオファーした結果だが、育児と演劇の関わりに悩む関係者・顧客が多くおり、その需要に応えられる施策を打ったことが券売に繋がったことは間違いない。

最後に適時性。本サイトを運営するプラットフォームデザインlabはセゾン文化財団創造環境イノベーション(※1)の助成に採択されているが、セゾン文化財団の申請の公募概要では、

事業で取り上げる課題は任意で広く募集するが、「舞台芸術活動と育児の両立支援」および「舞台芸術の観客拡大」を重点テーマの一つとする。

と明記されている。

さらに別の事例も挙げよう。

舞台芸術祭「秋の隕石2025東京」の公募プログラムに200件の応募の中から採択された「うたうははごころ」の企画もまた、育児当事者の俳優が母となり演劇との向き合い方を模索する中から生まれたものである。

プログラムの採択に関わるアーティスティック・ディレクターの岡田利規は、

うたうははごころを、育児中のママにだけ刺さるといったようなものではない。そうした文脈に限定されないしかたで、この社会に生きるわたしたち誰しものための演劇として、つまりいち舞台芸術として、「秋の隕石2025東京」はその新作、『劇場版☆︎歌え!踊れ!育て!ははごころの庭〜子供服は輪廻です〜』を紹介する。(※2)


と記している。

岡田さんの言葉をあえて雑に借りれば、舞台芸術と育児、それにまつわる諸々はきっとこの社会に生きるわたしたち誰しものためのことだ。

見つめるなら早い方がいい。どの世界でもそうだけれど、アーリーアダプターの方が得をする。

たとえ共感できないにしても、このくらい情報があればやった方が得とかやって当然の環境になっていることはわかるはずだ。

わかったならやろう。私も続けていくつもりだ。

本サイトが舞台芸術と育児にまつわる「こえのわ」を作るのであれば、非当事者のこういった声がひとつくらいあってもいいのではないか、「こんなダメで即物的な人間も育児・託児に向き合おうとした」というアーカイブを残すことには意味があると思い、ここまで筆を執らせていただいた。聞き苦しい声で申し訳ないが。

舞台芸術と子育てにまつわる情報を能動的にキャッチしに本サイトを訪れた方は私の文章なんて忘れ、当事者の声を聞き、考えを深め舞台芸術の世界を少しでも良くしていってほしい。

本サイトになんとなく義務感で訪れた方、育児を自分ごとではないと捉えている方も大歓迎だ。

偉いというと当たり前だろと怒られそうだけれど、私はあなた方の一歩も讃えたい。えらい。

今の私は「共感できなくとも取り組むこと自体に実利がある」と述べる程度のことしかできないが、これからも当事者の声を聞くことで、育児と舞台芸術の関係がより良きものになるような取り組みを考えていきたい。

壁としての託児を超えて。


(※1)公益財団法人セゾン文化財団 創造環境イノベーション
(※2)舞台芸術祭「秋の隕石」とは

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子どもと演劇作るのって最高!最高!最高!最高!

私が声を大にして言いたいことは、タイトルにある通りです。大変だったことや考えたことは山ほどありますが、それは誰かが書くでしょう。私はとにかく、楽しかったからみんなも「子育てと舞台芸術」に取り組もう!ということを書きたいと思います。

宝宝という演劇ユニットの企画制作・瀧口さくらです。先日、宝宝2かいめ『みどりの栞、挟んでおく』という、「育児との両立について、当事者でない立場から考える」を軸とした公演を上演しました。その公演において私は主に、週に一度は稽古場・劇場に俳優の大島萌(めぐみ)さんの双子のお子さんを連れてきてもらうためのプランを練り、そしてその子たちと一緒にいる担当でした。

最初の、そして最大のミッションは、双子と仲良くなること。なぜなら、双子にとって「親が稽古している時間」を「親が取られる時間」ではなく、「楽しい時間」にしなくてはならないからです。ただでさえ大人のエゴに巻き込んでしまっていることになるので、せめて私たちに会うことが楽しみになってくれたら、と願っていました。ただ、私はそれまで子どもと長時間過ごしたことがなく…。はたして好きになってくれるだろうか、と心配しながら、2024年9月末(もう一年前!)、顔合わせとして宝宝のメンバーで大島家にお邪魔しました。会ってみると双子がとっても人懐っこく、すぐに「さくらさん○○して~~」と一緒に遊んでくれて。ちょ~嬉しかった!し、とっても助かってしまいました。

いざ稽古場に来た時には、まずみんなで一緒にシアターゲームをしました。思ってた100倍できてて(ほんとに)、大人はみんなびっくり。それから、台本稽古が始まるタイミングで公園に行ったり、建物内の別部屋で遊んだり。そんな日々でした。お家で萌さんが双子に「みんなに会いに行くよ!」と言うと、ルンルンで出かける支度をしてくれていたとか。劇場入りしてからは、作ったご飯を食べさせたり、お昼寝をさせたり。長時間、初めての場所で萌さんと離れていたけど、ほんとにおりこうさん&元気ありあまるマンでした。どうか、二人にとっていい思い出になっていますように。

大人たちにとっても、双子に会えることはプライスレスな経験でした。稽古場にも劇場にも、日によって宝宝のお友達の大人がかわるがわる手伝いに来てくれたのですが、みんな双子にメロメロに。普段あまり表情が変わらない人やきちっとした言葉遣いで話す人も、双子に「○○さん!」と名前を呼ばれると、もれなく目じりが下がりまくり。なんていい顔なんだ…と思いました。

私は、この公演のおかげで、子どもに接することに臆さなくなりました。手をつないで歩く、電車に乗る、トイレに連れて行く。私でも、お手伝いできることがたくさん増えました。10年後、20年後の社会を良くしたいとより強く思うようになりました。1年前の私は、ここまでできるとは想像もしなかった。これらが私の人生において、どれだけ誇らしく、幸せなことか。子供に接する機会のない人こそ、尽力するべきなのです。

…それは、舞台芸術に関わってなくてもそうじゃないのか?それはそう。そうだけど、私が得られたこのスキルも、気持ちも、長期間のクリエイションを共にするという形でなければ得られなかったはずです。そして、親である以前に俳優であった萌さんに、また一人の俳優になってもらうためには、これだけの時間が必要でした。萌さんには、大変なことをお願いしてしまいました。私が手伝えるのは稽古場と劇場にいるときだけですから、生活にかかる多大な負荷を担うことは難しい。それなのに、最後まで一緒に頑張ってくださって、最後には「さくらさんと出逢えたことが財産」なんて言葉までくださいました。あぁ、やってよかった!その言葉に恥じないように、今後も頑張りたい所存です。

ということで、先週、双子と萌さんと一緒に、うんこミュージアムに遊びに行きました。次はもっとみんなで集まって、競馬場のデカ公園に行こうとしています。舞台芸術でできたご縁は、決してその場限りで終わるばかりではないのです。ほら、楽しそうでしょ?

親じゃないんだけどさ

私はこの先の人生で多分、自分の子供を育てるということがありません。

それは私がゲイというセクシャリティで、パートナーと妊娠・出産・育児が人生の中で登場しづらいことだからです。

でも、私はそれらを自分と関係のないことだと思うことはできませんでした。

例え異なる立場だったとしても、このことに関してできることを考えたい。共にあろうとすることを諦めたくないと思い、子育てをしている大切な友人・俳優である大島萌さんと共に劇を作ることにしました。

出産を経て、演劇から少し距離が離れた彼女のことが気がかりでした。

私の劇を見て「私もまだ演劇を好きでいて良いのだと思った」と言ってくれた彼女の心に応えることができたら、それはとても幸せなことだと思い演劇公演を企画しました。

そんな理由で『みどりの栞、挟んでおく』という劇を作ることになって、創作する中で萌さんの子供たちは劇中に登場する「晴人」という3の男の子の声を演じてくれることになりました。

ある時の稽古で双子のどちらかが「役ってなに?」と訊いてくれました。

宝宝のチームメンバーであるさくらさんが稽古中の私たちを指して「かかが翠さんで、長井さんが宝良さんなんだよ〜」と教えていて、

そうか、劇というのが何なのかこの子達は今から知るのかと私は改めてびっくりしました。

双子たちははてな?という感じでしたが、萌さんが毎日お家で稽古してくれたおかげで「晴人」をとっても上手に演じてくれました。声の細かなニュアンスまで完璧に演じていました。しかもほとんど一発撮りで!最初、全部のセリフを喋ってくれるだろうかと心配していたのに。

録音している光景は奇跡を目の当たりにしているようで、泣いてしまいました。

それと同時に私はなんて大変なことをお願いしているのだろうと途方に暮れてしまいました。

劇を好きだという気持ちに応えたい、なんていうのは偉そうだったんじゃないか。

本当にこの公演をやるのが、萌さんにとって・大島家の双子たちにとって幸いなのだろうか。疲弊させていないだろうか、企画当初に話し合った理想的な形で進行できているだろうか……そんなことを考えてたまらなくなってしまいました。

劇中の台詞のように、萌さんはいつも「ありがとう」と言ってくれるけれど、自分の何がありがたいのか、途中で私にはわからなくなりました。

そして泣きながら駅のホームで萌さんに電話して、正直に自分の気持ちを話しました。

翌日私が好きなちいかわのシールを萌さんが買ってきてくれて、気を確かにしなければと思い直しました。うんこを気張っているちいかわのシールでした。

子どもたちは稽古場でも劇場でも、本当に良く私たちと遊んでくれて、いつも元気で楽しそうにしていてくれました。

共にあろうとしてくれているのは子どもたちであったと思うし、大島家であり、座組の皆さんだったように私は思っています。

私は『みどりの栞、挟んでおく』をやって本当に良かったと今思えています。

全公演を無事に終演することができたというのはとても幸運なことで、その幸運を引き寄せたのも私たちです。

たくさんのお客さんに恵まれて、連日温かい拍手に包まれて毎日奇跡の中にいるのだと感じていました。

共にあろうと声をあげてみたこと、そしてそれ以上の大声で大島家の皆と座組の皆が「やろう!!」と応えてくれたこと。そのことをもっと褒めてあげたい。頑張った私たちを、もっと褒めてあげたいです。

私に至らなかったところはたくさんあるけれど、それも認めてこの公演を大成功例として掲げたいと思っています。

今後も育児に関する取り組みを積極的に行っていきますし、それに後続してくれる方が現れることを心から願っています。

撮影:小池舞

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