アートノト 社会保障・セルフケア講座2025【出産・育児と創造活動~制度の活用と環境づくり~】(レギュラー講座)


<内容>
芸術文化活動を続ける中で「出産・育児と活動をどうすれば両立できるか」「仲間が出産・育児の当事者になった時、どうすればともに活動を継続できるか」と悩んだことはありませんか?
この講座では、特に出産から乳幼児期までにフォーカスし、自らや家族が出産・育児の当事者になった時に活用できる社会保障制度について専門家が詳しく解説します。
さらに、ご自身もしくは活動の仲間が出産・育児を経験している3名のゲストをお招きし、実情に即した対応策やリアルな体験談をお聞きします。
持続的な活動基盤づくりのために役立つ実践的な知識を学びます。

<こんな方にオススメ>
・出産を控えており、芸術活動との両立方法を具体的に知りたい方
・現在育児中で、活動継続に不安や悩みを抱えている方
・チームメンバーや仲間が育児中で、みんなで活動を続けるための環境づくりを考えたい方
・出産・育児に関わる社会保障制度について基礎から学びたい方
・ライフステージの変化に備えて、活用可能な支援制度を知っておきたい方

お問合せ:
【講座詳細・情報保障について】
合同会社syuz’gen
TEL:03-4213-4292(平日10:00~18:00)
E-mail: seminar (*)syuzgen.com (*を@に変えてください)

【お申込について】
公益財団法人東京都歴史文化財団 アーツカウンシル東京
活動支援部 相談・サポート課 講座事業係
TEL: 03-6256-9237(平日10:00~18:00)

主催:東京都、公益財団法人東京都歴史文化財団 アーツカウンシル東京
運営: 合同会社syuz’gen

新たな家族と、家族との新たな関わり

結婚して10年。 

2人で気ままに過ごしてきた私たち夫婦のところに昨年10月息子が産まれました。今は体操選手が最後に決める着地のように、絶妙にバランスを保ちながら10点満点を目指して立とうしている息子。そして妻と俳優の私。家族が1人増え激的に変化した3人で幸せに暮らしています。 とはいえ。 毎日朝5時起床。 5時30分にミルクを作り飲ませて、寝てる間にパンパンになったオムツを替え、朝寝をする日しない日を見極めて遊ぶor寝かしつける。寝たら自分達の朝食を用意して哺乳瓶を洗い、身支度を交代でしている間にベビーモニターがそろそろ起きそうだよと教えてくれる。起きたら少し遊んでその間に妻が1回目の離乳食の準備。整ったらみんなで朝食。 ここまでで朝の9時。 夫婦2人で暮らしてた頃の私は前日のお酒がまだ残りながら寝ぼけていた時間でした。なんならまだ寝てる時間です。 朝食が終わったら片方はミルクを飲ませ、片方は食器の片付け。準備して仕事に向かう。 

ある俳優の先輩が、かつて子育てのことを 「毎日確定申告をしているかのようだ。」 と形容していました。そこまで大変なことがあるのか。と思っていましたが、そんな日々が今ココにありました。身構えることができました。 先輩ありがとうございます。 

今までは仕事に行くことへのハードルはゼロでした。 普段は演劇やドラマなどの映像の仕事やNHK Eテレの番組「ストレッチマン・ゴールド」などの仕事が多いです。共働きのため妻も日々仕事へ。 2人とも働きに行ってしまうとその間に子供と過ごす人がいなくなってしまう。 0歳児から預かってくれる保育園も近所にはなく、気持ち的にもまだまだ一緒に居たい。 つい先日までは仕事に行くことがハードルどころではなく、反り立つ壁のように目の前に立ちはだかっていました。 

今年の8月は浅草の劇場で演劇の仕事がありました。 特に演劇の現場となると本番期間中はもちろん、稽古もほぼ毎日。 全日程で1ヶ月近くあります。そんなスケジュールのなか無事千穐楽を迎えられたのはサポートしてくれた家族の存在がとてつもなく大きいです。 子供が生まれる前に友達の先輩父母からのアドバイスで「家族には甘えられるだけ甘えなね。」と聞いていた通り、今は甘えられる存在の大きさに日々感謝しています。 稽古期間中は義母がほぼ毎週末、金曜日から日曜日まで。 義姉は平日の仕事が空いている日に我が家に泊まり込んで手を貸してくれていました。 

【以下義母:たつ子ばぁば(仮)。以下義姉:つーちゃん(仮)。】 

たつ子ばぁばは普段保育園で働いています。園では0歳児も担当している最強の助っ人です。つーちゃんは妹である私の妻のことが大好きです。そんな妹の子ども、初めての甥っ子に全愛情を注いでくれる最強の叔母です。最強のふたりが助っ人にきてくれて手が足りていない掃除や洗濯から子どもの面倒まで、稽古期間中は特に頼りっぱなしでした。 更に自分がそうしてもらっていたから。 という理由で今までの子どものミルクを全部買ってくれています。申し訳なくて自分でお会計をしようとすると「私も買ってもらっていたから。」と言いながらレジと私の間に体をねじ込んで買ってくれます。ミルクが足りない時はつーちゃんも。 

本番期間中のたつ子ばぁばと、つーちゃんは「私たち宿をとるわ。」と浅草の劇場近くに2泊3日でホテルを抑えてくれて開演中の時間はもちろん、それ以外の時間も浅草観光しながら面倒を見てくれていました。 更に義父のマサじぃじ(仮)も、たつ子ばぁばとつーちゃんを車で送迎して協力してくれていました。 これまでは妻のご家族には多くても年に数回会う程度でした。私は仕事などで会えない年もあったかと思います。しかし今は週2回はお世話になっている。これほど関係が密になったのは明らかに子どもが産まれてきてくれたからです。 

状況は違えど、どの家族にも子どもと生活するうえで乗り越えなければいけないハードルはあるのだなと思います。特に産前は色々な不安や気がかりなことも多かったのですが、今は頼れる家族のサポートのおかげで、反り立つ壁がちょっとした上り坂に思えます。 

これからも沢山甘えていこうと思います。 あ、たつ子ばぁば。そろそろミルクがなくなりそうです。 

声を上げて!黙って聞くから

はじめに

こんにちは。旅する演出家、黒澤世莉です。好きな食べ物はカレーです。

この記事では「子育て中の俳優・スタッフとどう演劇をつくるか」について、私自身の失敗を通じて「非当事者が当事者にできる配慮とは?」について考えたことをお話しします。

私は子育て当事者ではありません。でも、子どもを育てながら活動する俳優やスタッフと一緒に、15年間作品をつくってきました。今は演劇サークル「明後日の方向」(https://asattenohoukou.com/)の活動を通じて、だれでも続けられる演劇活動を模索中です。

失敗談は掃いて捨てるほどありますが、そのぶん学んだこともあると思います。

非当事者の方々にまず共有したいことは、そもそも何が大変なのかを知らないと、配慮もへったくれもない、ということです。当事者がいない中で話された配慮や対策は、机上の空論で終わってしまうことが多いでしょう。せっかくの善意が無駄になっては、当事者も非当事者も報われません。

だから私はこうお伝えします。

子育て中のあなたへ。あなたの主張が未来の現場を変える力になります。どうか遠慮せず「ワガママ」を言ってください。勇気がいるかもしれませんが、一人ひとりが「ワガママ」を言ったほうがいいのです。お互いの「ワガママ」が出揃って初めて、配慮すべきこと、我慢してもらうことについての対話がスタートできます。

では、なぜそう考えるに至ったのか、ご説明します。


「善意」は「配慮」ではない

善意の言葉に隠された「見えない壁」

子育て中の俳優でも参加できるプロダクションとは、どうしたらいいのか。例えば、超短期間の2週間でリハーサルから公演まで終わらせればいいのでは?
これが私の失敗の一つです。

「子どもに負担をかけながら、同居人・実家・義実家をフル稼働させて、どうにかこうにかやりきった」

当事者からはこういった感想をいただきました。自分では「配慮したつもり」でいたけれど、実際には負担が大きかったのだと理解しました。

「無理しなくてもいいよ」
「NG出しても大丈夫」

よく聞く言葉ですし、善意を感じますよね。でも、これで状況は改善されるでしょうか?

そもそも「無理をしなくていい」と言われても、他に選択肢がなければ「無理しない=参加できない」になってしまいます。あるいは、参加するためには無理をするか、恵まれた環境にいることが必須になってしまう。これでは配慮しているとは言えませんよね。

本当の配慮は、当事者が参加可能な仕組みをつくること。
そのためには、非当事者には見えない「想像の外側」にある苦労を知る必要があります。

たとえば、稽古時間の設定。
「稽古は夜間」が常識になっている業界もあります。
でも、子育て世代にとって、夜はピークタイムです。
「夕飯と寝かしつけ」の、どちらか一方でもタイミングを逃すと、翌日からの生活が崩れてしまうかもしれません。

それでも、早退するのは気が引けるし、自分のせいで現場が困ると罪悪感が残ってしまう。
そうした現実を、非当事者は「聞かなければ分からない」のです。

配慮するためには、想像力だけでは足りない。
聞くこと、知ること、そして一緒に話し合うこと。
それが、善意を配慮に、理想を現実に変える第一歩でした。

子育て座談会~俳優編①~(前編)

1.子連れ稽古場のリアルと試行錯誤 

松本 俳優さんとスタッフって、同じ舞台の仕事をしてても、スケジュール的にも内容的にも、全く働き方が違うと思うんです。 

私たち、メンバーが全員スタッフなんですね。きっと俳優さんには俳優さんの大変さとか、その分いいこともあると思うけど、分かんないねって。 

だから、俳優さんならではのお話を今日お聞きしたいなって思っています。 

例えば、おもちさんが前回公演されたとき、ご自分が大変だったエピソードとか、他のみんなはどうしてるの?みたいなことがあったら、ぜひ教えていただきたいんですが、いかがですか? 

おもち そうですね…その公演に関わる人たちが、スタッフさんも出演者たちも、赤子が来るだろうことを前提にしていてくれたのはすごくありがたかったかなと。 

人によって「あ~、赤ちゃん!」って来る人と、それを見てる人、みたいな違いはあるけど、子供がそういう場所に来てワーッて言ったりすることに対して、こう、フラットでいてくれてるっていうのはすごくありがたかったです。 

…でも、他はどうなんだろう?っていう気持ちにもなった、っていうか…フラットだったけど、これってもう、最低限の前提だよね、というか。それ以上のケア…授乳をしたりとか、離乳食をあげたりとか、居場所をどうするとかっていうところまで完備された状態では稽古場には入ってなくて、ライトさんが来て初めて「あ、おもちゃだ!」「あ、座布団持ってきてくださった…!」みたいな感じで。でも、もうそういうのはやっぱり、育児してる人・してた人じゃないと分かんないよな~って思いながらやってました。 

ライト ちょっとだけ補足すると、おもちさんの所属してる団体は「子育てしたり、地方にいたりして活動が難しい人も、演劇に参加できるようにしよう」っていう企画前提があって、「どうやったらいろんな生活を抱えながら持続的に公演ができるか」っていうのを試してみようって側面を持っているんです。 

だから、子供がいてもOKで、私も子供が1回稽古場に行ってるし、美術スタッフさんも子供がいる。そういう人を排除しないようにしないと、一緒にやりたい人と演劇できないよねっていう頭が多分あって、それで始まってる企画だったんですね。 

とは言っても、子供いる人みんなウェルカム!みたいな感じでスタートはしたけど、今おもちさんが話してくれたみたいに、稽古場に子供連れてきたけど…さてどうする?みたいなところは全然あるままでやってたんですよね。うちの子が当時5歳で、あと稽古場に来てた子は4歳とか5歳、ちょっと上で小学校3年生…小3の子は2時間見てましたね。通し稽古。 

おもち その子がちゃんとそういうのを見れる子ってのもあったんでしょうけど(笑)。 

ライト うん、そういうふうに、ちゃんと稽古を見れる子、iPad的なものを渡してたらとりあえず落ち着いてる子、とか、That’s 乳飲み子!とか、状況がすごい違いましたね。 

私覚えてますよ、おもちさん、子供背負ったまま……。 

おもち やりました!(笑) 

ライト 通しをしてましたよね(笑)。 

おもち そうそう、そうなんですよ(笑)。 

やっぱり、母親の意識として、子供がそこにいたら、絶対に頭にそのことが貼り付いちゃうんですよ。お芝居中も、子供にふにゃ、って言われたらもう意識がそっち行っちゃうし… 

そのときは通しをやってる途中で起きちゃったから、ダメだここで泣かれたら何もできない…!と思って。おんぶしたら、とりあえず泣かないんで、そのまま子を背負って、いることを忘れるというか、一体になってる感じで、やりました。 

松本 すご~い…。 

おもち やらせてもらえてよかった。よかったけど…(笑)。 

松本 いや、でも、めちゃくちゃ必死ですよね、それ。おもちさん自身がね。 

おもち や、そうです。普段お芝居する以上に、何かを開いて、こう…やってる感じ。 

(頭の上で手をぱーっと開くおもちさん) 

松本 理想を言えば、おんぶせずに通しができた方がいいわけですよね。 

おもち うん、全体を通して、連れてってももちろんいいんだけれども、誰かに預けられたらいちばん嬉しいです…そりゃそうなんですけど。 

まあ、毎回連れて行ってたわけじゃなくって、実家の母に託していったり、夫に頼んだりとかも多くて。保育園とかも特に入っていない状態なので、となると預け先問題とかもあるよなぁって…もう、この歳の子供2人いて誰が演劇できるん??って思いながらですね。 

ライト それはそうだよなぁ… 

おもち 子供が増えてまた壁にぶち当たってます。前回は子供1人だったので、母親に頼んで夜稽古場に行って何とかやるみたいなこともできたんですけど、2人は無理ですって言われちゃって。 

同じ子供がいるでも、何歳かとか、何人いるのかとか、親がどうしたいのかとかで、ベストって全然違うから、難しいよなって思います。 

松本 同じ団体に今も所属はされてらっしゃる? 

おもち そうです、今の団体で、できることを模索していきたいって思ってます。 

松本 今後も子供ウェルカムの方向性で行く感じなんですか? 

おもち そこは多分変わらないんじゃないかなって思います。 

ライト 稽古も、前半戦はZOOMでやったりするんですよね。 

どんなやり方をしたら稽古場に来る日数を減らせるかを模索してて、稽古期間をすごく長くとってZOOMで週1回集まるみたいなのを最初にやってみるとか、逆に稽古期間をギュッと短くしたらどうなるかとか、すごい実験はしてる感じがします。何がいちばん辛くないの?みたいな。 

松本 あぁ、素晴らしいですね。参加されてる方と話して、そうやって変わっていこうと、変えていこうとしてる。 

ライト まあ、ちょっと大変そうです。 それでも、そうやって試行錯誤しているよっていうことが、もっと広まってくれたらいいなって思ってます。 

おもち うん、確かにそうですよね。 

松本 取り組んでること自体がすごいことですもんね。 

「保育園に、入れない」

はじめに

はじめまして。小林義典と申します。

プラットフォームデザインlabにて僭越ながら、僭越ながらの意味わかってんのか、コラ、ム、そんな大層なものになるか不安!ですが、子育てについての文章を書かせて頂きます。頂きます、て書きますでいいやろ。書きます!よろしくお願いします。

書くことへの憧れと、読んでもらえるか不安、素直に書きたい、面白おかしく、でも切実な思いを伝えたい、様々な思いが交錯して、書いています。ところで今、書いているあなた、何者ですか?簡単に自己紹介をします。

小林義典、こばやしよしのり、39歳、俳優です。一児の父。埼玉県在住。

俳優だけでは喰えていませんので、バイトをしながら妻と子の3人暮らし。

2017年6月に結婚。2021年4月に息子が産まれました。息子は現在4歳です。

この4年、いや5年、振り返れば、色々、本当に色々!みんな、そうですよね!そう、ぼく、ぼくたちにも色々ありました。コロナ禍、妊娠、東京から埼玉へ引っ越し、予定日より1か月早い出産、東京五輪でバイト、妻が膠原病の混合性結合組織病という難病になり1ヶ月入院、0歳の息子を岐阜の実家に2か月半預けたり、地方公演の時は妻と息子に福岡の妻の実家に帰ってもらったり、息子は2歳になってもなかなか言葉が出てこなかったり、保育園に落ちたり、療育に通ったり、息子が喋るようになったり、それはもう色々。

正直、息子が産まれてあっという間という感覚より、人生が長くなりました。

子どもが産まれたらあっという間みたいな話を聞くことの方が多いのですが、聞いてた話と違うな!

ということで、「保育園に入れない」話を書きます。

保育園に入れない

まず産まれて早いうちから「保育園に入れる」ことを考えていませんでした。

妻が「2歳までは保育園に預けなくていいかなぁ」と言っていた言葉を言葉通りそのまま受け取り、2歳くらいまでは家で見るのもいいかなぁとぼくも思っていたし、保育園が必要になった時に通わせればいいかと考えていたと思います。そんなに深く考えていませんでした。なんとかなるかと思っていたり、または深く考える余裕がなかったのかもしれません。

そして、いざ2歳になって保育園に入れようと思ったら、全然入れませんでした。

2歳から保育園って難しいよ、とお気づきの方や、保育園入れるって大変だよって言いたい方もいらっしゃると思います。にしても、こんなに入れないものだと思いませんでした。

2024年4月から通わせたかったですが、保育園に入れたのは2025年6月から通えることになります。

およそ1年と2か月、決まりませんでした。

最初の申請は2023年10月。2024年4月から通える2歳児クラスに申請することにしました。

息子は2021年4月生まれ。2024年4月1日時点で2歳11か月。

申請する際にインターネットで調べると、埼玉県の私の住む市は埼玉の中でも保育園に入りづらい市のようでした。

引っ越した時は東京じゃなければ、保育園に入れるだろうくらいの軽い気持ちで引っ越していたし、保育園に預けるということを深く調べることもせず、引っ越し先を決めていました。あの時の自分の馬鹿っ!でも、ここに決めたのにも色々あったんです。

それにしても、2歳児クラスからの入園が難しいとは思いもしませんでした。

保育園に通わせたい理由は大きく2つあります。

子どもが2歳になっても全然言葉が出ないこと。

妻が在宅ワークを始めたこと。です。

2歳になっても、二語文がなかなか出てこない。多少単語は言えてました。

例えば、とうもろこしのことは「こーしー」。父ちゃん、母ちゃんは「ちゃーちゃん」で、ニュアンスでどちらか分かる感じでした。「パン」は言えていたし、他にも単語は少し言えてました。

意思疎通は出来ていると感じていたし、もう少し様子を見ようと過ごしていましたが、2歳8か月ほどになってもなかなか言葉をしゃべらない。

でも、保育園に通い始めれば、他者との触れ合いが増え、自然と話せるようになるものかなと思っていました。

そんな思いでしたが、保留通知が届きます。

2歳まで保育園をまったく利用していなかったわけではありません。一時保育という制度の中のリフレッシュ保育、月2回預けられる、というものを申請し預けたりしていました。毎月2回預けられるわけではなく、空いていればということなので、預けられない月もありました。

このまま保育園に通えなかったら、妻の仕事も難しく、仕事をさせてあげられない負い目もあり、どうしようという焦りから、息子を預けられるナニカを探すことになります。

そこで『一時保育』と『療育』を考えることになりました。

子育て中に演劇は無理ゲー?

はじめに

こんにちは。旅する演出家、黒澤世莉です。好きな食べ物はカレーです。

この記事では「子育てをしながら演劇を続けること」について、私が直面した現実と、そこから見つけた小さな工夫をお話しします。
私は子育て当事者ではありません。でも、子どもを育てながら活動する俳優やスタッフと一緒に、15年間作品をつくってきました。今は演劇サークル「明後日の方向」(https://asattenohoukou.com)の活動を通じて、だれでも続けられる演劇活動を模索中です。

最初は当事者の努力に頼っていました。時間をかけてだんだんと、「これまでの演劇の当たり前」は子育て世代にまったく合っていないし、それは業界全体の構造の問題だと思うようになりました。

リハーサルは夜が中心で、週に5回を1か月。子どもの急な発熱や保育園の呼び出しなどで、稽古の休みを取るのも気が引ける。現場では相談できず、子どもの面倒を見てくれるシッターさんや家族の調整に時間とメンタルを削られる。初めての子育てでただでさえ大変なのに、演劇をやろうとすると高すぎるハードルを次々と越えていかなくてはなりません。

そんな大変な環境でも、演劇を続けたいという思いを持つ俳優やスタッフがいます。
これは、そんな仲間たちと一緒に試行錯誤を重ねてきた「3つの実験」の記録です。
とても完璧と言えるようなものではありませんが、子育て世代の負担をできるだけ小さくしながら演劇を続けるためのヒントにはなると思います。


実験1:1年かけて作品をつくってみた

「毎日リハーサル」の壁

演劇のリハーサルといえば「公演前1か月毎日」やるもの。ある界隈ではそれが常識だと思われています。しかし、子育て世代にとっては不可能に近いやり方です。

「子どもが熱を出した」
「預け先が見つからない」
「寝かしつけの時間と稽古が重なる」

越えなければならないハードルがずらりと並びます。
そこで「1年かけてゆっくり作品をつくる」という方法を試してみました。
オンラインリハーサルと、月に2回程度の対面リハーサルを、1年通して積み重ねて、公演に臨みました。

この方式の利点は、まず精神的な余白が生まれること。

従来の1か月集中リハーサルでは、期間中に時間の余裕を確保しにくく、生活のすべてを演劇中心にする必要がありました。結果として、子どもへのケアをする時間が取れず、子どもや共同生活者への負担が大きくなりました。
一方で、1年かけてつくるとリハーサルの間に余裕が生まれます。子どもの行事や家族の予定を大切にしながらリハーサルに参加できる。買い物や定期検診のように「日常の予定の一つ」としてリハーサルを組み込むことができます。

もうひとつの長所は、時間をかけるほど作品が深くなるということ。
俳優が生活の中で作品を咀嚼しつつ、リハーサルの中で演じてみて、また生活の中に戻っていく。この繰り返しが、俳優個人の中でキャラクターがしっかりと根を張りました。対面では、そのキャラクターを持った俳優たちが集まることで、演劇作品として一段深い味わいにたどり着くことができました。

もちろん、1年かける欠点もあります。
単純にスケジュールの調整が大変です。忙しい俳優たちは何本もの作品を掛け持ちしています。他のプロダクションは「公演前1か月毎日」で創作をしています。こちらと並行して作品を作ることは簡単ではありません。どちらかのプロダクションにNGを出すことになります。しかし、これも1年かける中であれば、ある程度のNGを許容する余裕はあります。プロダクション側で調整しながらリハーサルを進めていくことで、乗り越えられることでした。

また、単純に慣れない創作方法だということもあるでしょう。ずっと先だと思っていた公演が、いつの間にか1か月後になっていて、それなのにリハの回数はあと数回、となって焦ることもありました。

1年かけるということは「時間を味方につける」ということです。この方法は、子育て世代が無理なく関われる形の可能性の一つだと思います。


実験2:公演は2本立てにしてみた

公演を休むを「当たり前」に

もう一つの実験は「公演を2本立てにする」です。
A作品とB作品の2本を上演して、俳優はどちらか片方にだけ出演するという方法です。

従来の公演は、シングルキャストの場合、すべての俳優が全ステージに出演するのが前提です。
これが子育て中だとけっこう厳しい。1日の公演であればともかく、一週間を超えるステージに休みなく出演するのは大変です。子どもへの負担も高まりますし、預け先を見つけることも難しい。

だったらもう「半分オフ」にしちゃえばいいじゃない!
というわけで2本立てです。

この方法だと、出演する公演が半分になるだけではなく、リハーサルも半分になり、スケジュールに余白が生まれます。公演期間中の子育てが、ある程度現実的になってきます。

一方で、「どうせやるからには全部出たい!」あるいは「リハや公演に出ないことを後ろめたく感じる」そんな俳優もいるかもしれません。その気持ちも分かります。でも、他の考え方もあるかもしれません。

「全力で取り組む」=「全部出る」ではないはずです。全部出ることだって素敵なことですが、作品への貢献は他のやり方でもできるはずです。たとえば、得意分野を活かす方法があるはずです。隙間時間でのリサーチや、経験に基づくリーダーシップ、あるいは子育てしながらでも演劇を続けられるという可能性を伝えること。そういったサポートを心強く思うメンバーはきっといるでしょう。

自分にできないことではなく、自分の強みで貢献すればよい。これは子育て世代だけでなく、演劇に関わるすべての人にとって大切な視点だと思います。


実験3:対面は最小限にしてみた

テクノロジーを活用する

最後の実験は「対面リハを最小限にする」こと。
オンライン稽古を活用して、対面では月1回だけ集まるスタイルを採用しました。

コロナ禍で浸透したオンラインツール。「オンラインは仕方なく使う代替手段」あるいは「ミーティングはできるけど、リハーサルには不向き」とされてきました。

その当たり前を疑ってみる。画面越しでもできることはあるのではないか? 言葉の温度や呼吸の間は伝わるのか?
結論、戯曲読解やディスカッションには非常に有効でした。

もちろん、オンラインの限界はあります。
身体を動かしてつくるムーブメント、俳優同士の間に生まれる機微の共有は、やはり対面でないとできません。なんなら対面リハーサルは無限にやりたい、というのが演出家の本音です(そんな演出家ばかりじゃないかもしれないけど)。

でも、無限にできないことは当たり前なので、合理的に考えました。
そして「オンラインと対面を組み合わせる」ことにしました。オンラインでリハを積み重ね、戯曲やお互いへの理解を深める。対面では、少ない時間を有効に使うよう知恵を絞りながら、対面でないとできないことをやる。

オンラインがあることで、移動時間がない、短時間で定期的な予定を組むことができます。「子どもが寝たあとだけ参加」「途中で抜けてもOK」など、柔軟な関わり方ができるオンラインの活用。
それが「演劇を続けられるかも」と思える小さな一歩につながればいいなと思っています。


おわりに

この3つの実験は、子育て中の俳優やスタッフを救う魔法の方法ではありません。
それでも、試行錯誤を重ねる中で「どうすれば子育てをしながら演劇を続けられるか?」と暗中模索する方々への、ヒントにはなったらいいな思います。

最後に、私がなんで子育てしていないのにこのような実験をしているかを書きます。
結論から言えば、子育て中でも一緒に演劇をやりたい俳優・スタッフがいるからです。「一緒に演劇やりたいから、一緒にやれる方法考えようよ」という感じです。

そもそも、男女の演劇人が子育て中の場合、男性は演劇の仕事ができて、女性はできていない。そんな状況をよく見てきました。それも一度二度ではなく、しょっちゅうです。
なんか、不公平じゃない? なんで女性ばっかり活動が制限されるのよ? というモヤモヤが起点になっているのかもしれません。

子育てもしていないくせに偉そうにものを書くな、と思われる向きもあるかもしれません。そういう方、いちいちご尤もです。

ですが、業界全体が子育てしやすい方向に歩みを進めるためには、子育てしていない層も巻き込んだほうがいいのです。絶対に。なので、納得いかない部分もあるかもしれませんが、一緒に協力して、子育てしやすい業界にしていきましょう。

今回はここで終わります。最後まで読んでいただき、ありがとうございました!

子無し50代それなりに幸せ

-経緯と今の状況-

30歳で照明家と結婚。夫の仕事があまりにハードなので、見かねて運転免許を取得し、機材車運転や現場でのサポートをする。現在、社員5名の小さな照明会社に所属しつつ、着物部門を作ってもらい、着付ワークショップやアドバイス・着物レンタル・舞台衣裳関係なども行う。

子供は居ないけれど、夫婦仲はすこぶる良好で、今は静かな生活を送っている。が、最初から子供を持たない選択を望んでいた訳ではない。ただただ目の前の仕事をしているうちにタイミングを逃してしまった。

-30代の経験-

30代はまだ役者をしていたこともあり、無我夢中で自分の出演する舞台に邁進しながら夫の照明現場を手伝う日々。時間や人がとんでもなく足りない現場も、力になってくれる仲間のお蔭でなんとか乗り切ってきた。子供はもちろん欲しかったが、当時は経済的にも時間的にも余裕がなかった。

当時の住居は日野市(夫の持ち家)で、毎回様々な劇場やホールに通う訳だが、その通勤だけでかなりの時間を要した。朝9:00入りなら6:00には出て、夜22:00退館して帰宅したら23:30を越えることもしばしば。私の運転中は、夫は寝かせてあげたかったし、行き帰りの運転だけでも、私も大変だった。

-40代の経験-

気付けば40代。着付師範の資格を取得し、下北沢で着付レッスンをスタートさせる。

ただただ走ってきた30代とは違い、自分のやりたい方向性が見え、軸が出来たのが40代だった。

照明家としてのキッカケになる即興ダンスの舞台も始まり、年に数回レギュラーで続けているうちに予算も増え、様々なアーティストさんから芋づる式に依頼をいただくようになり、やりがいを感じて来た。

照明の現場では、今まで「嫁」という立場で「手伝っている人」でしかなかった私が、初めて自分の現場を持ったことで、アイデンティティが生まれた。

パンフレットに名前が載ったことが、自分にとっては、実に大きなことだった。

夫の明かりを見続けて来たので、感覚でどうすれば良い明かりになるかが、自然に分かっていた。それは経験値も有るが、役者をやっていた時よりも長けているように思えた。

同様に着物の知識は舞台衣裳としてニーズが有り、そちらでも仕事が舞い込むことになる。仕事は順風満帆の一方で、子供を持つことへの意欲は反比例して行く。気付けば40も半ば。結果的に子供出来なかったな、という感じだった。

-育児ママをリスペクト-

話はだいぶそれてしまったが、仕事ばかり夢中で計画性0の結果、結局ノーキッズ。育児をしながら働くママさんたちは尊敬に値する。

子供を産み育てる世代のお母さんたちこそ、今、一番脂が乗ってバリバリとクリエイティブな仕事ができるだろうに、お子さんがいることでそれがままならないのが現実で、更に日本の社会はそこに全く重点を置いてくれない。『子供がいるから仕事できないよね』という考え方が当たり前の、助け合おうともしない男社会の腐った世の中である。本当に勿体無い。

だから助け合って現場に送り出したいという気持ちが強く、うちの照明会社の子供のいるメンバーのサポートをしている。保育園にお迎えに行ってお家でご両親をお子さんと共に待つ。これは彼女や私だけでなく、うちの会社にとっても、彼女の現場にとっても大切なミッションで、彼女にはもっと才能を生かして照明の仕事をいっぱいしてもらいたいのだ。

そんな仕事のできるママさんたちにエールを送りたいし、社会の意識こそ変えなければいけないと思う。

-病気があったからこその今とお気楽な50代の野望-

子供が居なかった分、やりたいことだけをやって生きてきた気はする。

割愛したが、卵巣膿腫と乳癌で動けない日々もあった。

40半ばで病気→手術・入院→動けないのでNetflix三昧→韓国ドラマにどハマり→独学で韓国語勉強中→韓国で着付の仕事が出来ないもんかと野望を抱く今日この頃である。

なので、子供が居ない=自分の時間が多いに有るからこその、新たな野望を狙いに行く力もまだ有る。

それはそれで、楽しい人生でもあると言える。明日死んでも悔いはないが、まだこれからどうなるのか自分の人生だけでもだいぶ興味深い。

子供はいなけりゃいないで残念ではあるが、それはそれ。お蔭様でそれなりに楽しい人生である。

4日後に初産

東京住みの28歳で舞台関係の仕事をしています。

子どもをもつことは、都市部、殊に東京ではメジャーではありません(※1)。そして舞台業界ではさらにマイノリティであると体感します。

子どもをもたない選択もできる環境(選択しやすいという意味で)ですが、子どもをもつことを決めました。

前半ではなぜ子どもをもつことにしたのかということ、後半では妊婦として約10ヶ月を過ごした感想を書きます。私は劇場職員且つベビーシッターですが、その立場からではなく、初産を控えるひとりとして今回は書こうと思います。
子どもをもつことを悩んでいる人の参考に少しでもなれば幸いです。自分語りご容赦ください。

「子どもを育むこと」に比較的関心の高い幼少期を過ごしました。
小学1年生のときに妹が産まれ、幼い子どもと暮らす日常を過ごしていたからだと思います。7歳下の妹(三女)はかわいくて、2歳下の妹(次女)と取り合うようにして世話をやいていました(隙あらば抱っこし、手遊び歌をしたり、お人形のように髪を結んだり)。
子どもを可愛がることで自分自身が満たされて、幸せを感じられると知りました。

わたしは反骨精神強めの子どもで、大人(親や先生など)の態度・言葉に人一倍敏感でした。
「自分はああなりたくない」と、言われた言葉を自由帳にメモしたり、マンガ付きの育児本を読んだりしていました。
また、小さな子どもの情緒や身体を大人の都合の良いように軽率に操作できてしまうことが恐ろしいと思っていました。

自分より小さい子どもに自分が実際にかけてもらって嬉しかった言葉・かけてほしかった言葉を伝えることで喜びを感じるのと同時に、自分の嫌だった言葉や態度をとらないことで、嫌いな大人たちと自分は違う存在だと思うことができました。
これは当時の多感な私にとって重要なことだったと思います。

このように、子どもを育むことは10〜20代で自然と自分ごとになっていきました。

「子どもをもつこと」を強く意識し始めたのは20歳を過ぎてからでした。
地元の同級生の出産をSNSで知ったり、同い歳のはとこが20歳で出産したりして、その度に「私は産むのか?」と自問自答しました。

子どもを産まない人生がいいと思うくらい舞台へ没頭できたらいいのにと苦しみましたが、私にとって舞台の仕事は生きていくための手段で、子どもを産まない理由には結局なりませんでした。
そして「誰と暮らしていくか」は「どう暮らしていくか(仕事、ライフスタイルなど)」以上に、自分にとって大切なことだとある時にわかりました。
ここ数年、両祖父の死によって法事の場などで「家族」を見直したことも、子どもをもつことを決断するきっかけになりました。

舞台活動と並行する仕事には保育を選びました。
保育園は忙しく、子どもひとりひとりに向き合いきれないジレンマがありました。シッターは子ども1〜2人に密着して関わり、家庭内でゆとりある保育ができて、ご両親と成長を喜びあえることが自分に合っていました。
シッターの経験を積む中で、妊娠・出産・育児経験があることでより家庭に寄り添えると感じました。

また、勤務先の福利厚生(産休と育休が取れて社会保険の手当てを受けられる等)や、出産育児一時金(50万円※2)、東京都の出産・子育て応援ギフト(合計15万円分※3)なども現実的に子どもを「産める」と判断する条件になりました。

以上が、「子どもをもとう」と決断した経緯です。

※1
東京都の合計特殊出生率は全国ワースト1位(令和6年(2024)人口動態統計月報年計の概況|厚生労働省)

※2
出産育児一時金(※各区市町村の条例により定める額)

※3
東京都出産・子育て応援事業 ~赤ちゃんファースト~

【ワークショップ】おやこで一緒に!演劇ワークショップ

大人もこどもも、頭とからだをやわらか~くして
みんなで協力しながら、はじめてのことに挑戦してみよう!
「あれ、こんな顔もするんだ!」
「なるほど、そう考えたんだね」
ひとりひとりのアイデアを持ちよって演劇で遊んでいるうちに
親子でも意外に知らない相手の一面に出会えるかも…!

ちょっと変わった鬼ごっこしたり、おはなしの続きを考えたり、からだでまねっこしてみたり…
親子で話したり遊んだりしながら、たのしく演劇と触れ合います。
お互いの知らない一面を見つけたり、他の参加者と交流できる場です。

大きな声を出すのが苦手、引っ込み思案という人も大歓迎です。

兼業俳優が子育てをしながら演劇を続けて思う事など(「私は演じなければならぬ」のか)

はじめに

演劇にはいろいろな職業の人が携わります。
公演の企画を立ち上げる人。制作、作家、演出家、参加する音響、照明、美術、道具、舞台監督、劇場スタッフ、出演者などなど。
私は俳優です。スタッフさんとは違って、俳優には【職業として成り立っている俳優】と【そうではない俳優】がいます。私は後者です。演劇以外に収入源を持たないと家族を養う事が出来ません。そのためこの文章は、職業として成立していない俳優が子供を育てつつ、演劇に携わる際に起こる事、思うあれこれなどが記されています。
演劇活動は精神的にも物理的にもコストを必要とします。同じように子育ては精神的物理的コストを要求します。演劇か家庭かという選択が過去にあり、家庭を選んだ人間がどちらを優先するかは論じるまでもありません。私にとっては家族と子供の生活が最優先です。

どうやら私はまだ演劇をやりたかった

私は10年ほど演劇から離れていました。結婚や出産や生活などに伴う諸々の事情が重なって、物理的に演劇に携わる時間がとれなくなったのでした。具体的に書くとラーメン屋をやっていました。人生にはいろいろな事が起こるものです。10年ほどラーメンを作り続けた私は、諸般あれこれの果てにラーメン屋を閉店し、もう関わる事はないだろうと思っていた演劇と再び交わる機会を得たのでした。
35歳から45歳になった私の精神はいつの間にかホコリをかぶり、感受性は鈍麻し、細かい文字は読みづらくなり、体重は増え、酒を飲まねば眠れなくなっていました。私にとって10歳年を取るとはそういう事でした。10年ぶりに舞台に出るからといって若返るわけもなく、私はそのまま舞台本番に臨み、重力と動かない体を感じながらしかし、それらを抱えたまま舞台に上がる面白さを体感できたのでした。今の自分以外自分はいない。今を肯定せざるを得ない。自分は今のそれでしかない。
年をとればとるほど俳優という仕事は面白くなるのではないかと感じています。

とはいえ、赤ちゃんとはできるだけ一緒に居た方が良い


日々育つ可愛い生き物と一緒に過ごす時間は、自分が親になったことを自覚する大切なプロセスです。赤ちゃんは驚くほどの速度で生活能力を獲得します。寝返り出来るようになったと思ったらあっという間に歩きます。喃語(あーうー)から「パパまたお酒飲んでるの?」まであっという間です。
一つの能力は獲得してしまうと元には戻りません。初めて歩いたその瞬間を見逃すと「もう一回」はないのです。我が家にはもう「ぱぱだいしゅき、ぎゅー」してくれる生き物はいなくなってしまいました。奇跡のような時間は得難い宝物として心に残るでしょう。そういう意味で子供が幼児期を過ぎるまで、舞台出演は控えた方が良い。ベネディクト・カンバーバッチでさえ「小さい子供が3人いる我が家では、今は演劇は難しい(意訳)」と育児休業をとったそうです。